村上博輔(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2016年2月16日 更新 ]
関西学院事典

村上博輔

むらかみひろすけ

慶応元<1865>.10.15~1926.4.20

村上博輔

村上博輔

専門部文学部教授。
広島県佐伯郡石内村に生まれる。
郷土の儒者吉村斐山、河野小石らに漢籍を学ぶ。
1879年、佐伯郡草津村小学校上等科を試験により全科を卒業。
86年3月、広島県御用掛となり、鉱山科に勤務。
89年1月、辞職。
同1月22日、南美以広島教会でW.R.ランバスにより受洗。
94年8月、南メソヂスト監督教会伝道師となる。
1901年9月、広島市広陵中学校教頭。
03年4月より関西学院普通学部教員に就任し、国語と漢文を担当する。
09年4月、普通学部教務主任。
12年4月の高等学部設置に際し文科教員、21年の名称変更に伴い文学部教授となる。
26年、退職。

 吉岡美国および学院の初期の教職員一般に見られるアメリカ一辺倒の風潮を痛烈に批判した。
1905年5月3日、朝のチャペルで普通学部普通科の認定問題を取り上げた村上は、08年12月には蘆田慶治とともに文部省との最終交渉を行うなど認定の取得のために活躍した。

 『村上博輔日記抄』2巻(1903-26)は、学院の生活、学内外者の演説の紹介、学院の批判など、詳細な第一次資料である。

【参照】Ⅰ 112,134,199【文献】『開校四十年記念 関西学院史』1929;小林信雄「村上博輔日記について」『キリスト教主義教育』(18)1990;資料「村上博輔日記抄一‐一四」『関西学院史紀要』(7-10,12-21)2001-04,2006-2015