江原素六(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

江原素六

えばらそろく

天保13<1842>.1.29~1922.5.20

江原素六

江原素六

理事。
江戸角筈の幕府小普請役の家に生まれる。
倒幕運動の際、幕臣として逃れて静岡に落ち着き、のち地方政界、教育界で活躍。
1878年、カナダ・メソヂスト教会の伝道地であった静岡で洗礼を受けてキリスト者になり、中央に出て政治家、教育家として広く活躍した。
日本メソヂスト教会の日曜学校局長も務めた。

 当時は、衆議院議員から貴族院議員に選ばれ高名となっていたころで、カナダ・メソヂスト系のミッション・スクールである東洋英和学校の経営では平岩愃保を助け、麻布尋常中学校を起こすなどして、学校経営にも力量を発揮していた。
関西学院との関係では、それまで3派に分かれていたメソヂスト諸教会が1907年に合同して日本メソヂスト教会となり、関西学院がカナダ・メソヂスト教会との合同経営に入った翌11年に、カナダ・メソヂスト教会から選ばれる理事4名の一人となった。
合同経営に入った第1回理事会で第3代関西学院院長に選出されたが断っている。
高等学部設立に際しては、高等学部長に就任する予定のC.J.L.ベーツを文部省に紹介するなど、その政治力が関西学院の新しい事業を始めるのに貢献したことが理事会記録に残されている。

【参照】Ⅰ 225,254,328【文献】村田勤『江原素六先生伝』1935