ウェンライト,S.H.(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

ウェンライト,S.H.

Wainright,Samuel Hayman

1863.4.15~1950.12.7

ウェンライト,S.H.

ウェンライト,S.H.

普通学部長、アメリカ・南メソヂスト監督教会宣教師。
アメリカ・イリノイ州コロンバスに生まれる。
来日まではミズーリ州で医師として働き、1888年、南メソヂスト監督教会ミズーリ年会から大分に開拓伝道のために派遣された。
このウェンライトの大分招聘の仲介者は慶應義塾から派遣され、県の学務課長であった後の塾長鎌田栄吉であった。
翌年の大晦日にW.R.ランバス、吉岡美国などが彼を訪ね祈祷会をしていた時、霊的な体験を共有した。
この体験を通じて大分リバイバルが起こり、そこから釘宮辰生、柳原浪夫、柳原直人などが献身を決意するなどの運動に結びついた。

 1891年、W.R.ランバスがアメリカに帰国、同年9月にN.W.アトレーが関西学院普通学部長を退任した後、後任として学院に迎えられ、1906年までその職にあった。
その間、学院の礼拝主事も兼任している。
02年にはナッシュビルを訪れて学院における高等教育課程設立のために5万ドルの募金活動を展開し、やがて最初の原田校地東隣の官林購入の可能性を開き、また、J.P.ブランチ(John Patteson Branch,1830-1915)をランバスとともに訪ね、新チャペル建築(ブランチ・メモリアル・チャペル)のための資金協力を得ている。
その後、アメリカに帰国し、セントルイス教会での牧会を行っていたが、10年に学院同窓の中からウェンライト再派遣請願運動が起こり、本人も同意したものの、結局、監督の認めるところとならなかった。

 後に再来日し日本基督教興文協会、教文館の発展に尽くし、1912年から晩年までその総主事の地位にあった。
東京銀座教文館ビル9階にはウェンライトの働きを記念したウェンライトホールが設けられている。
日本の文芸への理解も深く、短歌集なども発行している。
著書に『プロテスタント基督教の原理』(1937)がある。

【参照】Ⅰ 159,281,261,301【文献】村上謙介『ウェンライト博士傳』1940;井上琢智「鎌田栄吉の経済学史:慶應義塾における経済学教育」『経済学論究』67(1)2013