院主(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

院主

 「私立関西学院規則」(1889)で定められた役員の一つとして院長、教頭の上に置かれた役職。
その仕事は「本学院諸般ヲ総管スル事、学資金収入支出ノ予算ヲ決定施行シ及ヒ決算報告スル事、学資金保管及ビ利殖ノ方法ヲ設クル事、院長教員ヲ雇入或ハ之ヲ解雇スル事、院長以下ノ勤情ヲ監督スル事」と定められているように、現在の学校法人理事長職であった。
しかし、関西学院の設立者となり、初代院主兼幹事兼教師となった中村平三郎によれば、日本人の設立者しか認められなかった当時にあって「日本政府にさまざまな書類を提出し、必要であれば役所に出かけ、役人と会う。また学校の利益のために、実際には、院長と教頭の指示に従って、教師や職員と交渉し、雇い入れる」仕事であった。

 1893年、第2代院長に就任した吉岡美国は、設立者および院主を兼務した。

【参照】Ⅰ 102,159