岩橋武夫(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

岩橋武夫

いわはしたけお

1898.3.16~1954.10.28

岩橋武夫

岩橋武夫

日本ライトハウス理事長。
大阪市に生まれる。
父の事業を継ぐために早稲田大学採礦冶金科に入学したが、1917年発病し、突如失明。
苦悩の末、死を覚悟する中で母の愛に触れ、聖書を通してキリスト教の信仰に導かれる。
19年春、関西学院高等学部文科に入学、英文学を専攻。
23年、卒業して大阪市立盲学校教諭となるが、C.J.L.ベーツ院長の助言もあり、25年、妻とともに渡英、エディンバラ大学に留学。
27年、M.A.の学位を取得。
帰国後、28年から44年まで母校関西学院の講師、教授を務めた。
特にJ.ミルトンの『失楽園』の研究に秀でていた。
渡英中に接したイギリスの視覚障がい者福祉施設に刺激され、33年、大阪盲人協会会長となり、35年、日本ライトハウスを大阪に設立して理事長となる。
2回の渡米中、ヘレン・ケラーと親交を結び、彼女の伝記、著書などを邦訳して広く紹介した。
ケラーも再三にわたる来日を通して日本の視覚障がい者事業のために尽力した。
著書に『失楽園の詩的形而上学』(1933)、『光は闇より』(1947)などがある。

 なお岩橋死去に伴い日本ライトハウス理事長を継いだ息子の英行は、1950年、関西学院大学文学部卒業後、その志を継ぎ、日本のみならず世界、特にアジアの視覚障がい者福祉の前進に貢献し、1984年に死去した。

【参照】Ⅰ 397【文献】関宏之『岩橋武夫―義務ゆえの道行』1983