吉原治良(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

吉原治良

よしはらじろう

1905.1.1~1972.2.10

画家。
大阪市に生まれる。
1928年、関西学院高等商業学部卒業。
戦前の日本前衛美術の先駆者として、また戦後は具体美術協会を率いての国際的な美術運動の推進者として知られる。

 学生時代、絵画部「弦月会」に所属し、また阪神間の洋画家たちで組織する「艸園会」にも参加、パリ帰りの画家上山二郎の薫陶も受けた。
卒業の年に大阪朝日会館で個展を開催。
卒業後、家業の植物油製造卸に従事し、後に吉原製油社長となるが、一方で油絵制作を続け、1934年に藤田嗣治の推挽で第21回二科展に初入選し画壇にデビューした。
38年、二科会友となり、同会の前衛的傾向の作家たちと「九室会」を結成、その中心人物の一人として活躍し、41年には二科会員となった。
最初は超現実主義風の詩情豊かな作風が注目され、その後抽象に転じたが、戦時下には前衛美術運動全体が抑圧された。
戦後は二科会の再建に奔走するとともに、48年に創立された芦屋市美術協会の代表となり、また52年には「現代美術懇談会(ゲンビ)」の結成に参加してジャンル横断的な前衛芸術を模索した。

 1954年、若い作家たちと「具体美術協会」を結成、翌年に第1回展を開催、68年まで21回の具体美術展を国内のみならずニューヨークやトリノでも開催して、国際的な美術運動の一翼を担った。
具体初期には、絵画や彫刻の枠にとらわれない野外インスタレーションや、舞台でのパフォーマンスなど先駆的な試みを行って、その後の美術に大きな影響を与え、中期にはフランスのアンフォルメルやアメリカの抽象表現主義と連動して、行為の痕跡を画面にとどめる抽象絵画を推進した。
晩年には簡潔で表情豊かな「円」の連作に到達し、これが高く評価されて67年、第9回日本国際美術展国内大賞を受賞、71年、インドトリエンナーレでゴールドメダルを受賞した。

【文献】図録『発見!吉原治良の世界』1998