ランバス,M.I.(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

ランバス,M.I.

Lambuth,Mary Isabella

1833.12.17~1904.6.26

ランバス,M.I.

ランバス,M.I.

アメリカ・南メソヂスト監督教会の宣教師。
J.W.ランバスの妻、関西学院の創立者W.R.ランバスの母、神戸婦人伝道学校(後の学校法人聖和大学の前身の一つ)の創立者。

ニューヨーク州ヘブロンに生まれる。
誕生時の名前はM.I.マクレラン(Mary Isabella McClellan)。
1853年頃、ミシシッピ州のランバス家および隣接する農園の子どもたちの教師となった。
ある日曜日の礼拝で、宣教の必要性を訴える説教を聞き、「5ドルと私自身を宣教のために献げます」と書いて献金かごに入れた。
当時、5ドルは大きな額であり、女性による海外宣教はまだ行われていなかった。
53年10月、宣教師を志していたJ.W.ランバスと結婚。
同年秋、中国への赴任が決まる。
54年5月、夫妻はニューヨークを出港。
同年9月、上海に上陸。
メアリーにとって、それは初めての子を宿しての長旅だった。
同年11月、W.R.ランバスが誕生。
その後、さらに2女1男が誕生した。

1886年7月、約32年間に及んだ中国での宣教活動を終え、J.W.ランバスとともに神戸に到着。
「山二番館」と呼ばれた自宅で日本人女性を対象に婦人学舎を始める。
それが発展して88年9月、彼女を校長とする女性伝道者養成のための神戸婦人伝道学校が正式に発足した。
92年、J.W.ランバスが神戸で死去。
その後メアリーは一旦帰国。
97年、再来日。
99年まで再び同伝道女学校校長を務めた。
1900年、この学校はランバス記念伝道女学校と命名された。

 また、J.W.ランバスが始めたパルモア学院の存続のためにも尽力した。
1901年、静養のため娘夫妻が宣教活動をしていた中国の蘇州に渡った。
上海に埋葬されたが墓地の場所は不明。

【参照】Ⅰ 61,86【文献】『聖和八十年史』1961;三田征彦編『ランバス物語:愛と祈りと奉仕に生きて関西学院の源流』2004