サッカー部(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室       2014年9月28日 更新  ]

関西学院事典

サッカー部


 1889年の関西学院の創立以前、外国人宣教師によりサッカーが日本に持ち込まれており、ボールを蹴る遊びは学院内でも見られていた。
大正の初めには体育の授業でもサッカーが盛んに取り入られるようになり、原田の森の啓明寮内で初めてサッカーチームが作られたのが創部のきっかけとなった。
当時は外国船の船員チームとの交流試合も数多く行われた。
1918年、菊池七郎教授を初代部長に迎え学院運動部の一員として完全な組織を整え創部された。
27年度のチームは池内信行部長、高田正夫主将の下、12月末から翌1月にかけて上海へ遠征し国際親善試合を3試合行った。

 過去の戦績は、学院が上ケ原キャンパスへ移転した1929年、現在日本サッカー界で最も伝統のある天皇杯第9回大会で関学クラブとして初優勝を飾り、以降同杯に37回出場し、7度の優勝を果たしている。
24年1月から始まった関西学生リーグでは28回の優勝と18回の準優勝を記録し、関東・関西リーグ優勝校の対戦である学生王座決定戦でも8回の優勝を誇っている。
70年以降、優勝1回、準優勝4回と長年低迷しているが、最近は全国大会でベスト4~8の成績を上げ、古豪復活の兆しが見え始めている。

 サッカー殿堂入りした鴇田正憲(元日本代表)、長沼健(元日本サッカー協会会長)、平木隆三(元日本代表コーチ)の他、元全日本代表監督の加茂周をはじめ、数多くのサッカー協会、Jリーグの役員、指導者、選手を生み、今日の日本サッカー界を支える役割を担っている。
また、オリンピックやワールドカップの日本代表選手を40名以上輩出しており、特に1956年の日本サッカー発展の歴史で重要な大会のメルボルンオリンピックには5名の関学OB・現役選手が主力メンバーであった。

 公式戦の他、早稲田大学とは90回、関西大学とは58回の定期戦を毎年行い、両校との交流に貢献している。
2009年に女子部が併設され、関西女子リーグ2部に所属している。

【文献】『関西学院大学蹴球五十年史』1969;『関西学院大学サッカー部70年史』1989