新聞総部(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室       2014年9月28日 更新  ]

関西学院事典

新聞総部


 1922年、学生会委員の手によりタブロイド判で「学生会時報」が創刊され、学院内に初めて学生の言論機関が生まれた。
紙面の拡張に伴い第11号より「関西学院時報」と改称。
25年に出版部として創部。
初代部長谷水一麿。
26年第21号より「関西学院新聞」と改称。
23号「学院創立記念号」から新聞紙大のものとなり、27年から部名称が新聞部となる。
戦火の中、41年2月に学生会が解散し報国団・報国隊が結成されるとともに報国団総務部編輯科新聞班に改組を余儀なくされた。
43年、学徒動員体制が確立し、201号「学徒出陣特集号」をもって一時休刊した。

 1945年10月、学生会が復活し、部長山崎良三が出版総部を起こす。
10月に壁新聞、12月にガリ版刷り新聞を発行。
46年3月、復刊第1号(202号)を平判全紙大で発行。
47年11月より新聞部、51年から新聞総部となる。
92年683号より紙面を刷新、「関西学院大学新聞」と改称。
「学生に読まれる」大学新聞を目指し現在に至る。

【文献】『新聞部40年』1963;『ポプラは羽ばたく 創刊65周年記念文集』1988;「関西学院新聞 保存版」1993