小寺武四郎(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室       2014年9月28日 更新  ]

関西学院事典

小寺武四郎

こでらたけしろう

1912.7.9~2004.7.23


小寺武四郎

小寺武四郎

第10代院長、学長、商経学部・経済学部教授。
大日本紡績社長小寺源吾の四男として、神戸市に生まれる。
1927年、関西学院中学部入学後、新設された予科を経て大学1期生として、37年、商経学部を卒業。
金融論を専攻し学院の委託生として京都帝国大学で研究を続け、39年に関西学院大学商経学部助手、専任講師をへて、終戦直後、助教授となる。
49年から2年間、アメリカに留学、52年に教授となる。
国際金融論、金融論の領域で業績をあげ、『国際通貨論』(1957)、『ケインズと賃金・雇用・利子』(1980)をはじめ、『国際金融論入門』(1985)などのほか、同僚やゼミ生とともに多くの翻訳書を刊行した。
定年退職後も研究意欲は衰えず、研究書を公刊するとともに、館龍一郎東大名誉教授の後を受けて、日本金融学会第5代会長に就任。

 学院の役職としては、1958年、小宮孝院長就任に伴い財務部長、続いて経済学部長をそれぞれ4年務め、その間、理事にも就任した。
69年から急展開を遂げた大学紛争において、学院、大学ともに執行部が不在となる中で学長代行に就任。
学院の総力を傾けて学長代行提案の作成、王子公園陸上競技場での改革結集集会、バリケードの撤去を行い、紛争の終結、大学改革へと進み、新生関西学院の旗頭として責任を負った。

 新しい学長選挙制度で1970年に正式の学長に選任され、院長代行を兼ねたが、院長制の改革に手間取り、旧制度のまま院長選挙を実施し、73年度から第10代院長を兼任した。
この年度半ばに、ようやく理事長・院長制への移行が決定されたことに伴い、年度末までに順次、院長、学長を辞任した。

 1978年から定年前までの3年間、再び学長に選出され、退職後も評議員、理事を務めた。

【参照】Ⅱ 362,491【文献】『経済学論究』35(2)1981;小寺武四郎『折りにふれて―関西学院とともに五十年―』(私家版)1981