釘宮辰生(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室       2014年9月28日 更新  ]

関西学院事典

釘宮辰生

くぎみやときお

明治5<1872>.3.13~1947.9.11


釘宮辰生

釘宮辰生

理事、日本メソヂスト教会第5代監督。
大分県海添に生まれる。
大分中学校在学中、父死去のためやむなく退学し、県裁判所に勤務。
1888年、S.H.ウェンライト宅での英語講義に出て初めて聖書を読み、同年10月、W.R.ランバスから受洗。
翌89年暮れ、ランバスらとともに大分リバイバルを体験して献身を志し、関西学院神学部に入学。
97年に卒業後、アメリカ・トリニティー・カレッジ(現、デューク大学)に留学。
帰国後、広島教会、大阪両国橋教会の主任牧師時代、伝道紙『喜音』の発行、共励会(青年伝道)や大成運動(大衆伝道)の推進など、メソヂスト教会の新しい伝道活動のために尽力する。
22年、豊中教会、27年、大阪東十三教会を創立。
36年、日本メソヂスト教会第5代監督に推挙・選任された後は、日本全国および朝鮮半島を巡回し、信仰「更新」運動に挺身した。
戦時下から戦後の最晩年41~47年は、関西学院教会の第7代牧師(専従)、関西学院理事、神学部復興に向けての理事会選任特別委員などを務める。
ひたすら聖霊の働きを信じ、絶えず祈るウエスレィアンであった。
関西学院大学神学部には釘宮記念奨学金が設定されている。

【参照】Ⅰ 152;Ⅱ 325【文献】倉田俊丸『釘宮辰生伝』1965