生涯学習・社会人講座
K.G.

Gコース(榎本 庸男 先生)講座紹介

カントって何をした人なの?

【担当講師】 榎本 庸男 関西学院大学名誉教授・元文学部教授

講義概要

哲学史の上でカントの名前は有名ですが、彼が何をやったのかを理解するのは簡単ではありません。彼の業績を、認識論、倫理学、美学理論という三つの分野から易しく解説します。

講義のポイント

・目の前にあるボトルやグラスやミックスナッツを見ることはできますが、神を見ることはできません。なぜでしょうか?ボトルの認識と神の認識はどこが違うのでしょう?
・道徳的な善い悪いは万人に共通の基準をもっているのでしょうか?常識という基準はどこまで普遍的なのでしょうか?
・「この花はバラである」という判断と「この花は美しい」という判断はどこが違うでしょう?美しい、美しくないの判断はひとそれぞれでなのでしょうか?
上記三つの問いはどのように結びつくでしょう?

受講料・定員
〇受講料/17,800円(卒業生16,400円) 〇定員/30名 
各回の講義予定
開催場所:西宮上ケ原キャンパス
日程 時間 講座内容
1 6/3(水)  15:10 ~ 16:40 カントと形而上学
ア・プリオリな総合判断
 形而上学は、ごく簡単に言うと、神や魂や自由といった普通の意味では経験できないものを探求する学問です。経験できない物事について議論することに意味があるでしょうか。またそんなことができるのでしょうか。まずはこんな疑問から始めてみましょう。  さらにカントは、もし形而上学が可能なら、それはア・プリオリな総合判断から成り立つはずだといいます。ア・プリアリな総合判断とは何なのでしょうか。
2 6/10(水) 空間と時間  空間というと、すべてのものがそこに入っている何か大きな入れ物のようなものを思い浮かべます。そうすると空間という「もの」があるのでしょうか?空間の中にある「もの」と空間は同じような「もの」なのでしょうか?  時間となると、思い浮かべるのも難しくて、どうもイメージすることができませんね。  カントは空間と時間を客観の側ではなく主観の側にある枠組みのようなものだと考えました。こう考えることによってのみ幾何学や自然科学が可能になると主張するのです。
3 6/17(水) カテゴリーとは カテゴリーの誤用  認識が成立するためには表象を受け取るだけでは不十分です。受け取ったイメージを整理してつなぎ合わせて判断の形にしなくてはなりません。そうして初めて認識が成り立ちます。このつなぎ合わせる際の枠組みがカテゴリーとよばれます。  カテゴリーは受け取った表象に対してのみ有効です。では受け取っていない、頭の中で考えただけの表象に用いた場合はどうなるでしょうか。つまり神や魂や自由についてわれわれはいくらでも判断することができます。このような判断はどう扱われるべきなのでしょう。
4 6/24(水) 善いことと為すべきこと  善いことや善いものはたくさんありますが、無条件に善いものってあるでしょうか?たいていの善いものはある限られた条件でのみ善い、ある目的のためには善いのであってつねに善いとは限りません。カントによれば無条件で善いのは、善いことを為そうとする意志のみということになります。では善いこととは何でしょうか。実はカントにとって善いこととは「為すべきこと」なのです。なんだかはぐらかされているような答えですが、カントははぐらかしも逃げも一切なくこの問題に立ち向かっています。
5 7/1(水) 善い人は幸福になれるのか?  われわれは、善人が必ずしも幸福になれないこと、悪人でも幸福になりうることを嫌というほど知っています。また幸福を求める行為は必ずしも善と結びつきません。しかし、善も幸福も人間の実践において重要な要素です。どうにかして結びつけられないものでしょうか。カントはこの問題に取り組みます。しかもこの問題を通じて、形而上学の伝統的課題であった神の存在や魂の不死といった理念を自分の体系の中で再び生かそうとします。
6 7/8(水) 趣味判断の特徴  美しい、美しくないの判定は人それぞれで、そこに普遍性などない、と思ってる方は多いと思います。しかしカントはそうは考えません。彼は美しいという判断(趣味判断とよばれます)にはある種の普遍性とある種の必然性が備わっていると主張します。それはあくまである種の普遍性であり、幾何学の命題のようなものではありません。ではどのような意味で普遍的で必然的なのでしょうか。またなぜ普遍性や必然性が必要なのでしょうか。  また普遍性と必然性以外にも趣味判断はいくつかの特徴をもっています。趣味判断はどのような点で他の判断と異なるのでしょうか。
7 7/15(水) 美と崇高の違い  上ヶ原キャンパスの後ろには甲山が見えますね。今はちょっと無粋なクレーンが立っていますが、まあ美しい風景と言って差し支えないでしょう。しかし例えば、ヒマラヤの山塊を見たときに同じように美しいと言えるでしょうか。何かわれわれを峻拒する威圧感のようなものを感じるのではないでしょうか。カントはこのような対象の特徴をを美とは異なった崇高という言葉で表します。崇高とは、普通は道徳的な意味で使われる言葉ですが、ここでは美と並ぶ、美的な述語として用いられます崇高はどのような意味をもつのでしょうか。。
講師プロフィール

 もともとはカントやヘーゲルの実践哲学(道徳、歴史、社会や国家)をテーマにしていましたが、最近ではカントの『判断力批判』を中心として「美しいと善いとはどこが違うのか」(カントは両者を区別します)とか「善悪の判定をする際に美しいとか見苦しいとかの美的述語を用いるのはなぜなのか」(カントは両者を区別するわけですから、こういう判断はおかしいことになります)、というようなことを考えています。
 旅行が好きというわけではないのですが、じっとしているのがいやなので、コロナ前は毎年のようにイタリアに行ってました。なぜイタリアかというと、私が知ってる国の中では見るべきものが圧倒的に多いように思うからです(あくまで個人的見解です)。今年(2025年)になってやっと再びイタリアに行くことができました。やっぱりいいですね。
 家にいるときは、だいたい本を読んだり、ごろごろしたり、ねこの世話をしたりしていますが、やはりじっとしているのがいやなので(だからといってスポーツをするのが好きなわけではないです)、近所をうろうろすることも多いです。

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