2022.04.01.
2022年度 司法研究科入学宣誓式 研究科長挨拶
新入生の皆様へ~元気な関学コミュニティーを!
関西学院大学司法研究科長 池田 直樹
43名の新入生の皆様、関西学院大学司法研究科にようこそ。私たちともに、今日から新しい関学ローのコミュニティを作っていきましょう。
今私が使った「コミュニティ」という言葉に「おやっ?」と思われたかもしれません。普通、この言葉からは商店街とか自治会とかを思い浮かべますよね。私は関学ローもここ西宮に根ざす100人ほどの小さなコミュニティだと思っています。共通の伝統を承継しつつ、メンバーの入れ替わりとともに新しい文化を作っていくそんなコミュニティの1つなのです。
では、関学ローの伝統とは何でしょうか?
それはMastery for Service、奉仕のための練達です。本来宗教的な意味がある言葉ですが、2004年の創設以来、ロースクールなりの解釈を行い、承継してきました。
サービスという言葉には、公共的な価値への献身という意味が込められています。司法試験に受かって単に法律家になること自体が目的ではない。社会に貢献できる「良き法律家」を目指す、そういった一生を貫く高い志こそがサービスの本質をかたち作るのです。
もう一つのMastery、練達とは、熟練して奥義に達することと辞書には書いています。しかし、私はこの言葉の大きな意義は、熟達というゴールにあるのではなく、そこに至るプロセスにあると思います。
つまりこのスクールモットーは、社会に貢献できる良き法律家として常に高みを目指して努力し続ける姿勢を一生にわたって維持しよう、と皆さんに呼び掛けているのです。このモットーのもと、関学ローというコミュニティの一員として、ともにこれから新しい「文化」を作っていきましょう。
さて、私は今、「新しい文化」という言葉を使いました。「文化」とはコミュニティの構成員が共に持つ行動様式や雰囲気です。私は今のロースクールにどうしても作りたい文化があります。それは「元気(生き生きとしていること)」なのです。
皆さんが入学したロースクールは、2年ないし3年の過密なカリキュラムと、厳格な成績評価システムのもと、容易には合格しない厳しい司法試験の合格率を上げる目標を掲げて運営されています。ロースクールはそのままでは学生の皆さんがうつ状態に追い込まれても不思議でない空間なのです。
しかし、厳しい制度のもとであっても、「元気が出る生活文化」を作り、維持することはできるはずです。私はそれをKGロースクールのKGをひっくりかえして「GKロー」づくりと呼びたいと思います。GK、ちょっと強引ですが、ゲンキと読めなくはないですよね(笑)。
では、人間にとって元気が出るのはどんなときでしょうか?私は「希望」があり、「自分の世界が広がっている実感」があるときだと思っています。
まず元気が出るのは希望があるときです。皆さんは、法律家になりたいという共通の目標を持っています。その希望に燃えて本日入学されてきたはずです。しかし、必ず誰もが壁にぶつかります。思い起こせば、私も40年近く前、初めて受けた司法試験で総合D判定、好きだったはずの刑法に至ってはF判定を食らいました。試験前には不眠に苦しみ、寝酒に頼って胃を壊しました。試験本番の前の晩も眠れず、酒に頼ると翌日に響きそうで悶々と夜を過ごした記憶があります。当時、司法試験が人間の姿をして町を歩いていたら、殴りつけてやりたい、と思うほどでした(ただし、私は決して暴力的な人間ではありませんので念のため)。
では壁にぶつかったとき、どうすれば希望を見出せるのでしょうか?玄田有史教授の「希望のつくり方」(岩波新書)という本に、「希望は変化を求める。」という言葉があります。志を維持し続けたい、しかし、このままでは出口が見えない、そんなときには「変化」が必要です。この本には、「壁にぶつかったらちゃんとウロウロする。無駄を恐れない」など、希望の作り方のヒントがたくさん書かれています。皆さん、壁にぶつかったら是非ウロウロしてください、そしてウロウロしているときに、友達や教職員に相談してください。必ず何か変化が生まれるはずです。「希望は与えられるものではない。自分たちの手で見つけるものだ。」というのがこの本の基本メッセージです。「自分たちの手で見つける」という言葉には、自分一人でなく、人との関係性の中で共に希望を見つけていくことが含意されています。私は入学式にあたって皆さんにまずこの言葉を贈りたいと思います。
もう一つ、人間にとって元気が出るのは、自分の世界が広がっていくときです。新しい人間関係が作られるとき、自分の知らない世界に出会うとき、私たちはわくわくします。しかし法律の勉強で同じところをぐるぐる回ることばかりしていると、逆に世界が閉じていく感覚に襲われます。一体なぜ自分はこんなことをしているのだろうと落ち込みます。
そんなとき、少し視線をあげて外の世界に目を向けてください。
今、世界では、ウクライナ紛争で日々人々が亡くなっています。21世紀に武力で国境が侵され、無辜の人々が命を奪われ、フェイクニュースが流され、戦争に反対した人々が抑圧される・・そんなむき出しの力が使われ、人々を殺し、支配する社会の姿を私たちは毎日目撃しているのです。
ああ、私たちが学び、人類が築き上げてきたはずの「正義や人権や法の支配」は、武力と専制的体制の前に何と無力なことか・・・。
しかし、こういった嘆きは実はこれまでも繰り返されて来たのです。ファシズムが勃興していた1930年、スペインの思想家オルテガが「大衆の反逆」で次のように述べています。「手続き、規範・・正義、道理!これらはすべてはなんのために発明されたのだろか・・・手続とか規範とかの煩雑なことによって都市や共同体や共存を可能ならしめようとしているのだ。」「暴力とは、あらゆる規範の廃棄を提案する規範であり・・・われわれの意図とその実施の間に介在するいっさいの中間段階を廃止する規範である。」と。問答無用の暴力の前で、社会が築き上げたはずの共存のための煩雑なルールが丸ごと廃棄されようとすることを予期し嘆いていたのです。
歴史の中でのむき出しの暴力を印象的な言葉で記録したもう1人の知識人がいます。1968年、東西冷戦下でソ連のワルシャワ条約機構のもとにあったチェコスロバキアで、プラハの春という自由化運動が進められました。それに危機感を抱いたソ連は、プラハに大量の戦車を送り込み、自由化を阻止したのです。現地の人々は勇気を振り絞り、戦車の前で自由を口々に叫び、マスコミも支援しましたが、たちまち弾圧されていきました。それを現地近くで目撃した知の巨人・加藤周一が、次のような言葉を述べています。「1968年の夏、小雨に濡れたプラハの街頭に相対していたのは、圧倒的で無力な戦車と、無力で圧倒的な言葉であった。」と(傍点筆者)。
圧倒的で「無力な」戦車と無力で「圧倒的な」言葉・・ウクライナの事態は、侵略対自衛の闘いではありますが、「圧倒的なはずの戦力」とそれを批判する「圧倒的な人々の言葉」の対決ともいえます。後者は「圧倒的な法と正義」に置き換えることができると思います。今、ウクライナで起こっていることは、圧倒的な武力で世界を制圧しようとしても、正統性を圧倒的に欠いていればその支配は無力であり、人々によって必ず覆され、法と正義が回復されるのだという、希望の歴史であってほしい、そう世界の多くの人が信じ、むき出しの力にウクライナの人々が負けてはならないという気持ちから、無数の人々が支援しているのではないでしょうか。
私たちがともに学ぶ「法」とは、いつの間にか出来上がりあるがままに国家から強制されるルールではなく、人類が歴史の中で共存するために築き上げた価値や手続の体系なのです。武力や金力で人が人を支配してはならない、そういった祈りと不正義に対して戦った勇気ある人々の闘いの成果なのです。モスクワの国営放送の生番組で反戦のプラカードを掲げた女性はその1人なのです。
ただし、「圧倒的な正義」が掲げられているときこそ、今、私が立っている法廷での思考プロセスを踏まえてください。つまり、相手の反論にも耳を傾け、少し距離をとって公平な見地から判断する、その過程を経たうえでの「圧倒的正義」でなければなりません。また、ウクライナ以外の世界や自国の歴史にも目を向けなければなりません。
さて、司法改革によって2004年にできたロースクールの設立理念は、「法の支配」を社会のすみずみに行き渡らせることにありました。ロースクールは法の支配の担い手を生み出し育てる肥沃な大地でなければならないのです。
今日、経済はグローバル化しました。しかし、正義や法はどうでしょうか。共通する国際法やそれを実施する機関を欠く現代の世界において、今日ほど法の支配のグローバル化が求められる時代はないと思います。国内にあってもまだまだ法の支配が十分に及んでいない領域は広く残っています。やるべきことはたくさんあるのです。
だから、もし息詰まったら、ビルを出て自然の中で深呼吸して、外の世界に視線を向けてみてください。今、世界に何が足りないのか、社会から何が求められているのか、見つめなおしてください。
そうすると気づくはずです。世界は皆さんを待っています。皆さんは社会から求められています。皆さんは決して孤立しているわけではないのです。ロースクールでの学びは、より良き世界への貢献へとつながっているのです。
一緒にKGローを元気なGKローにしましょう。GenKiであるためには、時には変化も求めつつ、皆さん一人一人が自分の目指すGoalをKeepすることが1つ。もう1つとして、人類が直面する時代の課題にGlobally Keep eyes onすること、つまり授業で扱う目先の事例問題ばかりに閉じこもらず、ときには世界の時代的な課題に目を向け続けることも重要なのです。そのうえで日々努力を続けましょう。
元気な関学ロー(GKロー)文化を共に作っていきましょう。
(本文は2022年4月1日、関西学院大学西宮上ケ原キャンパス模擬法廷での入学式で行われた挨拶について、一部の表現と引用文言を加筆・修正したものです。)