『関西学院七十年史』(1959年)の訳

[ 編集者:総合企画部   2011年11月17日 更新  ]

 人の性質には、個別的なもの、私のものと、公共的な社会的なものの二つの面がある。生命にも、各個人がただ一人で生きなくてはならない生命もあり、この生命の中には他の何人も立ち入ることが不可能である。これが彼の個別的な生命である。しかし人間の生命は、決してこれのみに止まるものではない。他人と共に分かつことのできる他のもう一つの面がある。この二つの面にはそれぞれに対応する人生の理想がある。一つは自修、他は献身である。しかもこれらの理想は、矛盾するものではなく、かえって相補うものである。またそれらはその一つのみでは完全なものとなることはできない。さらにまたその一つのみ孤立することも不可能である。ただ自分のためのみに求められた自修は、やがて利己の念を生じ、単に献身ということのみをもって、人生唯一の理想とするならば、それは基礎の軟弱に導くものである。献身の基礎としての自修はただ正当なものであるばかりではなく、必要なものでもある。献身は自修という基礎の上に立ってはじめて真の効果のあるものとなる。
 だから私たちの性質におけるこの二つの面は、包含されて、校訓“Mastery for Service"の中に生かされている。強からんことを願い、主たらんことを願う。知識の主、自己の野心、情慾、はたまた富の主たらんことを願う。私たちは奴隷となってはならない。他人の奴隷、境遇の奴隷、自分の情慾の奴隷、そうしたことを私たちは排する。しかし私たちが主たらんと欲する真の意味は、自分の一個の富を求めるためではなくて、それによって世に仕えるためなのである。私たちは広い意味における人類の僕たらんことを期しているのである。……人間は社会に奉仕するところに比例して、それだけ偉大と称せられるのである。……私たちが主たらんと求めるのは、自分の威を張ったり、自分を富ましめようとするためではなくて、自分が生存していたということによって、世界を少しでも良くなるように何らか有用な務めを果たすような人間になるためである。
 私たちが理想とするビジネスマンは、博徒ではない。吝嗇家でもない。実業の根本原則を理解し、自己の本分をわきまえ、勤勉と正直とによって、他の人々が失敗するところにも成功するような、真の主たることによって栄えてゆく実業家なのである。……その財力によって社会が改良され、公共的精神を持ち、社会に対する義務の念に鋭敏な者なのである。……また私たちが学徒の理想とするところは、つねに吸収することのみを知って、飽和するまで与えることを知らない知的海綿のようなものではない。知識を求めるのは、単に知識のために求めるのではなく、まして名誉のためではなくて、人類に対してよりよき務めをなすことができるものとして、自らに備えんがため、これをなすような者でなければならない。……人間たれ、主たれ。とともに真に人類のために仕うる者たれということが、私たちの理想とするところのものである。

上記の日本語訳は、『開校四十年記念関西学院史』(1929年)に掲載された文章の表現が一部修正され、『関西学院七十年史』(1959年)に掲載されたものです。