リサーチコンペ 2014年度

[ 編集者:先端社会研究所   2015年6月10日 更新 ]

先端研リサーチコンペ 2014年度採択者による成果報告書

先端研リサーチコンペ2014年度採択者4名より提出された成果報告の概要は、以下の通りです。

戦後開拓を生きる一石垣島『自由移民」の生一

藤井 和子

1.研究計画の進捗状況

研究計画の進捗度 研究計画では、聞き取り調査は、石垣島のみで実施する予定であった。しかし、石垣島だけではなく西表島でも「政府計画開拓民」の入植が行なわれており、また八重山諸島の島から島を手漕ぎの舟で通いながら米作りをした人々もいたため、聞き取り調査の範囲を八重山諸島に拡大し西表島、黒島、鳩間島、竹富島でも現地調査を行った。

3月末時点での研究成果 台風シーズンを避けるため、 1月までは石垣島には行けなかった。戦後開拓民の表現文化の実例を参考にできる可能性があるので、茨城県の開拓地を現地調査した。 1月以後、石垣島、西表島で「政府計画開拓民」の開拓村を10箇所程度まわり、現地調査を行った。村ごとの入植記念碑や公民館など、可視化された開拓にまつわる物質文化を確認した。「政府計画開拓民」の最初の入植地西表島住吉村で宮古島からの入植者から聞き取りを行い開拓40周年記念誌を入手した。一方で、「自由開拓民」による開拓地では、目安になる記念碑もなく、高齢化によって入植を記憶している世代がわずかであり聞き取り調査は難航した。しかし、西表島では「自由開拓民」一世の90歳の女性からライフヒストリーを聞くことができた。この老女は、開拓時代の初期の小屋に今も住み続けている。この小屋は、夫が西表島の実家近くの山から木を切り出して組み立てたもので、いかだに乗せて舟で曳いて浜からひきあげて運んできたものであり、隣には息子たちの鉄骨の住居があっても夫亡き後も一人ですんでいる。これも「自由開拓民」ならではの開拓にまつわる物質文化といえよう。「自由開拓民」は家族単位で集団化しておらず開拓しても「政府計画開拓民」のように土地が配分されず、借地のままであり子や孫の世代に土地が継承できないことがわかった。開拓は、「ユイマール」と呼ばれる協働作業で行われ村はばらばらの寄せ集めの入植者たちが団結していった。生活に追われていたが、ハーリーや農耕馬の浜での競走などを村で 行った。しかし誰一人カメラを持っていなかったため、村の行事も写真1枚すら残っていない。 r自由開拓民」の村では、物質文化が「政府計画開拓民」のように可視化され継承されていないものの、物資もお金もない離島で手に入るものを工夫して創作する生活の工夫が随所に見られた。

今後見込まれる成果 八重山の人口を先住民、「政府計画開拓民」「自由開拓民」の三つに分類し芸能の島ともいわれる地域の表現文化の方法、ジャンルについて比較し八重山の表現文化の全体像を立体的に解明する。

2.発表論文、学会発表

 現在論文は執筆中であり『先端社会研究所紀要』に投稿予定である。また、2015年2月に院生成果発表会で「戦後開拓を生きる一八重山『自由開拓民』の生と表現文化」の口頭発表を行った。

地方花柳界の文化資源化―模索と葛藤をめぐって―

谷岡 優子

研究成果(経過)

日本各地の花柳界は、1970年代以降、客の花柳界離れ、次世代の芸の担い手不足などを理由に衰退状況にある。そして、この状況を克服するべく、花柳界関係者は、花柳界の「文化資源化」や「観光化」という新たな戦略を立てて、花柳界の再編、再活性化を模索しようとしていることが2013年度のリサーチコンペ採択課題による調査で明らかになった。しかし、こうした再編は、必ずしも成功しておらず、そこには、関係者間での衝突、葛藤状態が発生している。
 本課題は、この地方花柳界をめぐる模索と葛藤を、花柳界を探るうえでの重要な論点と考え、秋田市川反の花柳界をフィールドに2015年2月26日~3月5日にかけて現地調査を行ない、花柳界再生への模索と模索により発生する葛藤と人びとの対応のあり方について検討した。その結果、つぎのことが明らかとなった。
かつて秋田市大町の旭川沿いの繁華街・川反には、料亭・料理屋、芸妓置屋、検番が置かれ、多くの川反芸者が活躍していた。しかし、1990年から官官接待の廃止や交際費の縮小を理由に川反から客足が遠のき、花柳界を支えた料亭・料理屋のほとんどは廃業し、川反の花柳界は衰退した。
 そのようななか、2014年4月1日、川反芸者の文化を再興するとともに、秋田美人をブランド化し、秋田の魅力を県外に発信する「あきた舞妓」の育成・派遣会社「せん」が発足した。
 事業の主役である「あきた舞妓」は、高校卒業資格のある18歳以上の女性を対象に募集を行なった結果、見習い生を経て正社員として採用された3名の女性である。彼女たちは、元・川反芸者の「若勇」に、舞妓としての立ち居振る舞いや「酒の秋田」「秋田音頭」などの踊りの指導を仰ぎ、舞妓としての修練も積むほか、社長の「お座敷文化の単なる再生ではなく、観光資源としてブランド化する」というコンセプトのもと、語学学習や秋田の観光についても学んだうえで、「あきた舞妓」として活躍している。
 しかしながら、現在、株式会社「せん」が進める舞妓育成事業をめぐり、会社と旧来の花柳界関係者間で葛藤が生じている。旧来の川反を知る花柳界関係者は、川反の花柳界が培ってきた芸やしきたりを踏襲した上で活躍する「舞妓」を期待していたが、会社側は「花柳界文化の継承」よりも、「秋田美人の産業化」「秋田の魅力発信」ということに重きを置いており、「あきた舞妓」はあくまでその手段の一つにすぎないと考えている。
 このような意見の相違の結果、2015年3月の時点で、旧来の花柳界と現在の花柳界を繋ぐ存在である元・川反芸者の「若勇」は、あきた舞妓の指導から完全に手を引いており、また、あきた舞妓事業も、他地域の花柳界の展開を参考としながら、旧来の川反の花柳界と別のあり方を模索していることが明らかとなった。

 今回得られた研究成果は、日本民俗学会第67回年会において口頭発表を行なうほか、論文としてまとめ、『関西学院大学先端社会研究所紀要』へ投稿する予定である。

ナラティヴとナラティヴの接続に関する社会学的研究-明治時代の投書を事例として-

矢﨑 千華

1.研究計画の進捗度、3月末時点での研究成果、今後見込まれる成果等

明治時代におけるナラティヴの接続を研究するにあたって、当時の雑誌上の投書を事例とした。とくに、女性雑誌を中心に調査を行った。調査を行う雑誌は、浜崎(2004)の研究を参考に策定した。以下が調査を行った雑誌である。『以良都女』、『婦女雑誌』、『女鑑』、『婦人界』、『ムラサキ』、『明治の婦人』、『婦人之友』、『家庭雑誌』、『家庭之友』、『婦人世界』などを調査した。これらは投書が掲載されていた雑誌であるが、投書者同士でのやりとり(応答)が確認できる『婦人世界』を主な分析対象とした。その他の雑誌における投書のやりとりはいわゆる「文通」をしたいといった内容のものであり、今回の分析対象とはしなかった。
 『婦人世界』における投書のやりとりは特徴的であり、先行する投書に対する応答、またそれに対する応答、と一連の投書が確認できたため、分析対象として選定した。とくに『婦人世界』の投書のやりとりでは、自身の「不幸」についての投書のやりとりがあり、「不幸」を軸としてナラティヴの接続を確認することができた。
 現時点においては、ナラティヴの接続の際には「不幸の比較」が行われること、またナラティヴの終了の際には特定の形式があることが明らかとなってきている。ナラティヴの終了は、「不幸」を受け入れるということが達成される場合に起こる。そして、この「受け入れる」ということの達成がナラティヴの接続の重要な機能であると考えられる。
 この分析から、投書のやりとりというナラティヴとナラティヴの接続は、たんなるつながりではなく、それぞれのナラティヴの意味――「不幸」――を意味を確定させるために必要なものであり、他者と自身との想像上のつながり(Anderson 1983=1997)を生じさせる機能をもつものであると考えている。
 この考察を展開するかたちで現在投稿論文を執筆中である。

【参考文献】
Anderson, B. 1983, 1991 ‘Imagined Communities: Reflection on the Origin and Spread of Nationalism(=1997、白石さや・白石隆訳『増補 想像の共同体――ナショナリズムの起源と流行』NTT出版)。
浜崎広、2004、『女性誌の源流――女の雑誌、かく生まれ、かく競い、かく死せり』出版ニュース社。

2.発表論文、学会発表等

 2014年11月の第87回日本社会学会(於神戸大学)にて口頭発表を行った。夏に行った1度目の調査までの研究成果の中間報告として発表した。タイトルは、「ナラティヴとナラティヴの接続に関する研究――明治時代の「不幸」に関する投書を事例として――」である。

戦後・名古屋の都市イメージ作りと名古屋駅における排除―1964年東京オリンピックの際のクリアランスを事例に

加藤 晴美

研究成果(経過)

 本研究は、戦後復興期の名古屋において、名古屋駅が「名古屋の顔」として地域の中で活用されていく過程で、駅の「裏の顔」がどのように扱われ、語られてきたかを見ていく。
 都市においてイメージ=物語が注目される例として、地域おこし・まちおこしといったものが挙げられる。これまでも、地域におけるイメージ作り=物語作りについて分析した研究は数多く見られる。たとえば、①「創造都市」論の系譜が挙げられる。「創造都市」論では、都市の中に既存の文化的な「地域資源」をいかに上手く活用するかといった観点を呈示することで地域おこしの分析に実践的・効用的に一定の貢献を行ってきた。②また、地方都市発の「文化」を対象にしたものが挙げられる。都市―農村の枠組みのように、東京との間で、中央―周縁の関係におかれた地方において、「独自の地方文化」がいかに地方の人々によって作られてきたかを分析してきた。
 これらの研究は、地方で芽生える文化の可能性を呈示することに成功した反面、その「地域/文化」がおおよそ潜在的に存在するという視点(①)や、作り出すことが可能であり、かついかに成功するか/失敗するかといった面(②)を強調するあまり、その「地方の独自性」の内実の機微を十分に検討してきたとは言い難い。本研究では、地域おこし・まちおこしの文脈において、「地域/文化」が当事者の間でいかにして語られたか、「名古屋の顔」が作られる上で、どのような「顔」がいかなる論理を用いて棄却されてきたのか、揺らぎと機微の歴史を見ていく。
 また一方で、名古屋における都市イメージを主軸にした研究はなく、また名古屋を事例とした都市研究自体も多いとはいえない。たとえば、名古屋については産業の変化と都市編成の間連を生態学的に分析したものが挙げられるが、マクロな視点に立つもので都市空間の構造とミクロな都市の動態分析との関連については十分には検討されていない。
 本研究では、「産業都市・名古屋」にふさわしい都市空間作りが行われる中で都市の周縁部においてどのような政治過程が起こったか、またその背景について考察することを目的とする。具体的には、名古屋駅の西側で起こった土地の区画整理ならびにクリアランスに着目する。
 戦後間もなくの、駅の西側(駅裏)はバラックが立ち並んでいた。ここは当時問屋街で、闇市から始まって一時期は名古屋の商店主がここに買い付けにやってくる場所だった。その後も市場から商店群が発達していった。ところが、’64年東京オリンピックに際して新幹線用地確保のためにクリアランスが始まる。その際、駅の東側がビルが立ち並び整理された空間を為していたのに対して、西側は未整備で「戦後の雰囲気が残った」空間として対比され、駅西は「名古屋の顔」である駅にふさわしくないものという言い方がなされるようになり、東側=表、西側=裏として認識された。
 クリアランスは突貫工事的に行われ、とりわけ駅のすぐ裏手(新幹線用地にされた場所)に形成されていた韓国・朝鮮系の人が集まる国際マーケットは跡形もなく取り払われた。西側の整備はオリンピック閉幕後も行われ、道路拡張や地下街形成によって地域が大きく動いて行った。
 現在の駅西地区の人々に聴き取りを行ったところ、「痛みの伴う歴史」としてクリアランスや区画整理が語られ、記述されていた。それは、語り継がれる大事な歴史であると主張するものの、「歴史化」されたものとして受け止められていた。現在のきれいに整備された駅西地区になるために、ひいては名古屋の発展のためには、「痛みの伴う歴史」もまた必要な歴史であったと認識されていた。産業都市・名古屋の発展史のなかに、排除の歴史が美談の一部として解釈されているように考えられる。
 このような歴史化は現在の文脈に照合して選びとられたものとも考えられる。つまり、リニア新幹線駅開設によってさらに大きく飛躍する名古屋市、名古屋駅と駅西地区という文脈が現在の駅西地区に共有されていることもあるだろう。リニアの駅開設による集客効果や土地売買に伴う利益などに対する期待と共に、開発の歴史も美談に回収されているようだ。

2014年度先端社会研究所リサーチコンペ採択者の研究計画要旨および審査講評

採択者による研究計画要旨と審査の講評は、以下の通りです。

戦後開拓を生きる――石垣島「自由移民」の生

藤井 和子(社会学研究科博士課程後期課程3年)

 沖縄県石垣島の歴史は、琉球王朝時代から第二次大戦後まで、「開拓」(山林・原野に入植し新たに耕地や集落などを形成すること)の連続であったといっても過言ではない。本研究は、同島をフィールドに、開拓者、とりわけ第二次大戦後の「自由移民」と呼ばれる開拓者たちの生のあり方を、「他者」問題と関わらせて検討することを目的とする。
 戦後の石垣島開拓の担い手として一般に知られているのは、琉球政府がさまざまな条件を整えた上で希望者を募集して入植させた「計画移民」である。しかし、それとは別に、「計画移民」以前に、自らの意思で沖縄本島や宮古島などから入植した人々がおり、この人々は行政側からは「自由移民」と称されている。「自由移民」は、先住者や「計画移民」らからは、ある種の「流れ者」的な存在として、「他者」化された存在であり、また学術研究の面でも、「計画移民」についての調査研究は一定の蓄積が見られるものの、「自由移民」については研究が存在していない。 
 「自由移民」は、行政の支援のもとに開拓団を組織して入植した「計画移民」とは異なり、個人入植者である各自が自らの才覚で開拓を生き抜く必要があったため、独自の生のあり方や世界観を生み出している可能性が高い。現地で「他者」化され、学術研究でも光の当てられてこなかった「自由移民」の生について内在的理解を進めることが本研究の目的である。

講評

 これまで研究が乏しかった石垣島の「自由移民」について研究するという意図や方向性、さらには計画性については評価できる上、予備調査などすでに得たインフォーマントからの情報により、彼ら独自の生の技法などを論じるという方向性自体は良いと考えられる。ただし、本研究が、これまでの移民研究の動向や理論的枠組の中でどのような意義を持つかについて、より明確に位置づけることが望ましい。この点、そもそも「自由移民」をどのような分析用語に変換するかという作業が、この研究の一般性を考える場合にとくに重要である。とくに、生活者はどこでも工夫するものであるのだから、「自由移民」独自の視点を安易に仮定してはならず、その検証をいかに行うかが研究の成否を決めることになるだろう。

地方花柳界の文化資源化――模索と葛藤をめぐって

谷岡 優子(社会学研究科博士課程前期課程2年)

 日本各地には、前近代、もしくは近代以降に形成・展開されてきた花柳界(芸妓、料亭、待合茶屋、検番、置屋、芸事の師匠からなる社会)が存在し、各地の花柳界はそれぞれが現地の社会・文化的コンテクスト(文脈)と密接な関わりがある。申請者は、2013年度関西学院大学先端社会研究所リサーチコンペ採択課題において、長野県諏訪湖沿岸部の花柳界をフィールドに、花柳界内部での〈芸〉と〈色〉の実態と再編について焦点をあて、調査と分析を行なってきた。
 この調査のなかで、上記の点以外にも、1990年代から日本各地の地方花柳界が衰退状況にあること、この状況を打破すべく、各地の地方花柳界では「文化資源化」「観光化」「芸妓会社化・NPO法人化」など多様な「模索」が展開されていることが明らかとなった。しかし、これらの「模索」の全てが成功しているわけではない。諏訪湖沿岸部の花柳界では、模索による再編が当該地域の社会・文化的コンテクストと適合しなかったため、花柳界内部で葛藤が生じている。
 これらのことを踏まえ、本研究では、花柳界再生への模索と、模索により発生する葛藤とそれへの人びとの対応のあり方について、秋田市川反での現地調査をもとに解明する。

講評

 これまで十分には研究が行われてこなかった地方花柳界の研究という意味では高く評価できる。また旧来の花柳界と新しい花柳界とを比較して、後者を文化資源化という観点から考えるという観点も明確で評価でき、これまでの調査を踏まえて計画性も高い。とはいえ、かつての花柳界と、文化資源として街おこしに使われる花柳界とは同じものでないことは明らかなのだから、グローバリゼーションなどの社会的背景の変化を勘案した、現在における日本伝統文化の変容という観点を入れて考察することが重要である。すなわち、この研究が前提として想定している「文化」を明確化し、そのような一般的でより広い文脈との関係においてこの研究を位置づける努力が必要になるだろう。

ナラティヴとナラティヴの接続に関する社会学的研究――明治時代の投書を事例として

矢﨑 千華(社会学研究科博士課程後期課程3年)

 ナラティヴとは、複数の出来事を時間軸上に配列することで成り立つひとつの言語形式である。本研究は、そのように特徴的な言語形式が社会変動期において人びとによって実際にどのように使用されながら、社会的な機能を果たしてきたのかを研究するものである。その際、本研究では、日本における社会変動期として位置づけられる明治時代を対象としながら、ナラティヴにより近代社会が形成される過程を記述することを試みる。
 分析の対象は明治期の雑誌上の投書欄であるが、その特徴として一つの投書が他の投書を誘発し投書者内で「不幸」な身の上の比べ合いが始まることをあげることができる。人びとはどのようにして自身の「不幸」を訴えるのか、また、どのようにして先行するナラティヴよりも「より不幸」であることを訴えるのか。本来、比較不可能であるはずの個人的な物語としての「不幸」が比較という行為を通じて接続され連鎖していく。本研究の論点は、その奇妙な接続と連鎖の社会学的含意は如何なるものなのかということである。「不幸」という表象を通じて個人的なものが連鎖し、近代社会というある種の連帯性が可能になっているということを分析的に明らかにしていく。

講評

 明治後期における「ナラティブの接続」に着目し、それを具体的には雑誌メディアにおける投稿から読み解いていくという作業は興味深く、またそれがある種の共同体意識を形成するという議論も興味深い。とくに幸福よりもむしろ不幸が相互に接続されていく様態がどのようにして可能になったのかという問題について着目したことは評価できる。ただしこの研究を可能にしている方法論と、それら方法論が前提としている言説同士の接続ならびに言説と社会との関係を明確化しなければ、説得性も一般性ももたないことに注意する必要がある。とくに不幸のナラティブにおけるジェンダー的傾向を近代社会の特性との関係で論じようと試みるのであれば、分析対象としている資料の特性をより広い文脈において適切に位置づけた上で、分析結果がどのような意味をもつのかという点について、より深く考察する必要があるだろう。

戦後・名古屋の都市イメージ作りと名古屋駅における排除―1964年東京オリンピックの際のクリアランスを事例に

加藤 晴美(社会学研究科博士課程前期課程1年)

 現在の名古屋駅周辺は、都市社会学の「他者」問題で扱われてきたマイノリティが集まる場である。歴史を紐解いてみると、戦後の駅周辺は「他者」が集まり、また、排除される場であった。1964年の東京オリンピックの際、名古屋駅ではクリアランスが行われた。「名古屋の顔」である名古屋駅周辺にたむろしていた日雇い労働者やセックスワーカーの女性を他者化=排除しようとした。
 本研究では、戦後期の名古屋の都市イメージ作りの中でどのように他者化が行われたのかを1964年の東京オリンピックに伴うクリアランスから明らかにしていく。その際、分析のポイントとして、高度成長期中で周辺都市・名古屋からみた中心都市・東京の意味付け・東京との関係性の中にどう名古屋を位置づけたかったのか、という点を補助線とする。さらに、冒頭で述べた現在の名古屋駅における新たな「他者」がどのように現れ、まなざされてきたかについても追っていく。

講評

 クリアランスで一旦排除された場所が、再び姿を変えながら新たな時代に再包摂される過程はどこにでもよくある事例だが、詳細に調査することで名古屋市の事例の特殊性が差異化できるかもしれない。東京、大阪との比較で位置づけられる名古屋の微妙な立ち位置と都市アイデンティティ構築の難しさの問題は、広義の他者化あるいは他者問題の新しい角度として論じることも不可能ではないという点で興味深い。ただし、現状の研究計画のままでは、名古屋の都市イメージと、クリアランスの問題が有機的に結びついていないため、それらの間の結びつきを研究過程で十分に検討する必要がある。そのさいには文献研究に加えて聞き取り調査をすることで、研究に厚みと奥行きを加える必要もあるだろう。

2014年度リサーチコンペ プレゼンテーション審査会のお知らせ

先端社会研究所は、その取り組む事業のひとつである「教育」の一環として、関西学院大学の大学院生・研究員を対象に、先端社会研究所が取り組む「他者問題」に関して将来の可能性が期待される「優れた先端的な研究」を募集しました。厳正な書類選考に基づき、以下8件の研究課題がプレゼンテーションを行います。助成受領者は、この中から、申請書類と、研究計画に関するプレゼンテーションの審査によって決定されます。

プレゼンテーション審査会当日スケジュール  [ 453.32KB ]PDFファイル

プレゼンテーション審査会当日スケジュール

10:00~ 開会挨拶  盛山 和夫 先端社会研究所所長

10:10~10:40 藤井 和子  社会学研究科 博士課程後期課程3年
10:40~11:10 中島 沙紀  社会学研究科 博士課程前期課程2年
11:10~11:40 谷岡 優子  社会学研究科 博士課程前期課程2年
11:40~12:10 矢﨑 千華  社会学研究科 博士課程後期課程3年

12:10~12:40  休憩(30分)

12:40~13:10 西田 太郎  社会学研究科 博士課程前期課程1年
13:10~13:40 松村 淳   社会学研究科 大学院研究員
13:40~14:10 奥田 絵   社会学研究科 博士課程前期課程2年
14:10~14:40 加藤 晴美  社会学研究科 博士課程前期課程1年

14:40~ 閉会挨拶  佐藤 哲彦 先端社会研究所副所長

2014年度先端社会研究所「大学院教育支援事業」リサーチコンペ 募集期間延長のお知らせ

先端社会研究所では、本年度リサーチコンペの募集期間を延長いたします。
応募期間:2014年4月25日(金)~5月30日(金)

多数の応募をお待ちしております。
募集要項は以下の通りです。

2014年度 リサーチコンペ 募集要項  [ 304.82KB ]PDFファイル

2014年度 先端社会研究所リサーチコンペ 研究計画申請書  [ 44.00KB ]XLSファイル

2014年度先端社会研究所「大学院教育支援事業」リサーチコンペ募集

2014年度先端社会研究所「大学院教育支援事業」
リサーチコンペ 募集要項

2014年度 先端社会研究所<リサーチコンペ> 研究計画申請書  [ 44.00KB ]XLSファイル

1.本事業の趣旨

先端社会研究所が取り組む「大学院教育支援事業」の一環として、全研究科大学院生・研究員を対象に、先端社会研究所が取り組む「他者問題」∗ に関して、将来の可能性が期待される「優れた先端的な研究」を募集する。そして、採択者(個人、もしくは数名のグループ)に対しては、一定額の研究助成を行い、当該研究のより一層の発展を支援し、研究者の養成を図る。

2.応募期間

2014年4月25日(金)~5月23日(金)16:30(時間厳守)

3.応募方法および採択決定までの流れ

1)応募
「2014年度 先端社会研究所<リサーチコンペ> 研究計画申請書」【様式1、2】に必要事項を記入のうえ、先端社会研究所事務室に提出。英文での申請可。
申請書は、先端社会研究所HP(http://asr.kgu-jp.com/top/)よりダウンロード。

2)書類審査
「2014年度先端社会研究所リサーチコンペ審査委員会」において、次の評価ポイントにより書類審査を 行い、「5)プレゼンテーション」に進む課題を選考。
①先端性 ②親和性 ③計画性

3)リサーチコンペウィーク
2014年6月9日(月)~14日(土)をリサーチコンペウィークとし、「研究計画申請書」を先端社会研究所ホームページにて公開する。

4)プレゼンテーション
書類審査を通過した応募課題について、公開でプレゼンテーションを実施する。
日時 2014年6月14日(土)10時より
場所 先端社会研究所セミナールーム(社会学部校舎3階)

5)採択決定
書類審査およびプレゼンテーションを通じて、先端社会研究所が取り組む「他者問題」に関して、「優れた先端的な研究」としての将来的な成果が期待される研究計画を採択する。

4.応募資格者

2014年度の時点における関西学院大学各研究科所属の大学院生ならびに大学院研究員・研究科研究員

5.助成内容と採択件数

個人研究の場合は1件につき20万円、共同研究の場合は1件につき40万円をそれぞれ上限とする。採択件数は、2014年度予算枠80万円の範囲内で決定する。
※なお、本制度による助成は、主として調査・研究活動に必要な経費を対象としているため、設備・備品等の購入は原則として認めない。

6.助成年限

2014年度内(研究期間:採択通知日~2015年3月31日)

7.申請書提出期限/提出場所

2014年5月23日(金)16時30分/研究推進社会連携機構 先端社会研究所事務室(本部棟2階)
※なお、提出時に学生証(研究員証)にて本人確認を行います。

8.採択決定通知

2014年6月18日(水) 申請者宛にEメールにて通知します。

9.研究成果の公表

本制度に採択された者は次のとおり研究成果を公表しなければなりません。
①「中間報告」の提出
 先端社会研究所紀要(2014年度発行予定分)に掲載されます。
②「研究成果報告書」(研究所所定様式)の提出
 2015年4月末日までに提出してください。なお、研究成果報告は一括して先端社会研究所のホームページに掲載します。
③「リサーチコンペ報告会」(2015年5月頃開催予定)での報告
④「先端社会研究所紀要」(2015年度発行予定分)への投稿

10.問い合わせ先

本募集に関する問い合わせは、全てEメールにて受け付けます。
問い合わせ先メールアドレス: asr@kwansei.ac.jp

                          以上

∗「他者問題」とは

情報コミュニケーション技術の発達、人的移動の増加、資本主義の世界的拡大は、国・地域・集団の境界内に留まっていた人、モノ、サービス、情報等が接触する機会を爆発的に増加させています。これは、人種・エスニシティ、宗教、ジェンダー、セクシュアリティ、階級・階層など身体的、文化的、経済的、社会的に異なる(と考えられる)ものが「他者」として包摂、排除、支配される場の拡大をもたらします。他者問題とは、2つ(以上の)の集団や社会が接触する、あるいは1つの集団や社会内に亀裂が生じて起こる問題で、そこでは互いを理解不可能な「他者」として見る傾向が高まります。と同時に、異なる集団間の境界に位置するためどちらからも「他者」とみなされる人々や集団が生まれます。多くの場合、他者問題のもとでは抑圧や排除を通じた暴力が発揮されがちです。
「他者」をめぐる境界は明確に決められたものでなく、紛争や災害の発生に伴って、突発的に「他者」が生み出されたり、あるいは逆にそれまで「他者」として排除されていたものが「わたしたち」の一部に組み入れられたりする場合もあります。こうした「他者」の生成の社会的プロセスを明らかにすることが、先端的な社会研究には求められています。