2008年度

[ 編集者:先端社会研究所   2014年9月5日 更新 ]

先端社会研究所 定期研究会(第11回)

日時:2009年2月12日(木)14:00-16:00
場所:先端社会研究所セミナールーム
報告者: 山上浩嗣(関西学院大学社会学部准教授)

題目: <文明>と<野蛮>――フランス思想における西洋とその他者

概要:
 フランス思想のなかには、自己を「文明」とみなし、「自然」や「野蛮」を他者として定立する系譜がある。両者の比較が自己に対する反省的視線をもたらし、異質な者への寛容というルネサンスのユマニスト的精神や、啓蒙主義思想家たちの相対主義的な考えを生み出すきっかけとなった。だが、その反面、他者に付与されるイメージが文明側の恣意にもとづいた虚像であったことを見逃してはならない。
 この「他者」の代表例が、「オリエント」である。フランスから見たオリエントは、たとえばドラクロワが描くような、情熱と詩情にあふれた幻想的な世界である。このようなオリエント像は、西洋が自己に対してもつイメージの正確な裏返しである。エドワード・サイードが指摘したように、西洋は「他者」をみずからと対立的な存在と規定することで、自己を合理的、先進的、かつ道徳的な文明圏であるという認識を強化してきた。他者認識は自己認識の動機であり帰結である。
 本論では、モンテーニュ(1533-1592)、モンテスキュー(1689-1755)、ヴォルテール(1694-1778)の著作を例にとり、文明に対する「他者」がどのように描かれ、そこにいかなる自己認識が現れているかを考察する。

発表者の紹介:
 山上浩嗣(やまじょう・ひろつぐ)―専門はフランス文学・思想。研究業績に、ブレーズ・パスカルに関する十数編の論文のほか、『はじめて学ぶフランス』(共編著、関学出版会)、『ブローデル歴史集成I ~III』(共訳、藤原書店)、『<愛>を考える―キリスト教の視点から』(共著、関学出版会)など。

(研究会の報告)
本研究会では、16世紀末から18世紀にまたがるフランス啓蒙思想家たちの主要著作を題材として、西洋が非西洋を「他者」として描き出すようになった系譜が辿られました。取り上げられた著作はモンテーニュ『エセー』より「食人種について」(1580)、モンテスキュー『ペルシア人の手紙』(1721)、ヴォルテール『カンディード』(1759)、ディドロ『ブーガンヴィル航海記補遺』です。ここでは以下のような報告がなされました。

 上記の作品はいずれも自己を「文明」とみなし、「自然」や「野蛮」を他者として描いていた。しかしそこでは、その「野蛮」の中にも一定の合理性を見出そうという姿勢も見られた。またそこには「他者」とされた人々が逆に西洋を批判的に捉える視点を持っていることも描かれていた。つまりこれらの作品の著者たちは、他者の言葉を借りて文明を反省してゆこうとする精神を有していた。そこには18世紀ごろから登場していた異国情緒を尊ぶ傾向と共に、文明やその改善可能性への信頼が見られた。
しかしながら、彼らが文明の枠内にとどまりながらその理想像を「他者」に仮託している以上、「他者」に振り分けられる表象は自己の反転像に過ぎないということにも注意しなければならない。

(報告:岩佐将志=先端社会研究所専任研究員)

先端社会研究所 定期研究会(第10回)『共同研究「戦争が生み出す社会」5』更新日:2009-02-25; 著作権者:ASR

日時:2009年1月23日(金)14:00~16:00
場所:先端社会研究所セミナールーム(社会学部棟3階)
報告者:祐成 保志(信州大学人文学部准教授)

題目:「戦争と住宅:西山夘三による調査と構想から」

概要:
戦争は人々から住宅を奪う。しかしその反面、それまでとは違ったかたちで人々に住宅を与えるのもまた、戦争である。たとえば1940年頃の日本では「国民住居」が活発に論じられていた。そのなかには理念的な議論も少なくないが、実証的な調査をふまえた提言も試みられている。戦後住宅政策の原型、あるいは住宅計画の基本的な考え方が形成されたのもこの時期である。本報告では、戦時期において、住み方に現われる慣習の観察から住宅市場の把握、さらには住宅の生産供給システムの構想に至る、住空間への包括的な視点を提示した建築学者・西山夘三の軌跡に焦点をあて、戦争と住宅の関係について考察する。

発表者の主要著書・論文:
祐成保志(2008)『〈住宅〉の歴史社会学:日常生活をめぐる啓蒙・動員・産業化』新曜社
祐成保志(2007)「住居:交渉過程としての住まい」佐藤健二・吉見俊哉編『文化の社会学』有斐閣

(研究会の報告)
 本研究会では、以下のような報告がありました。

 一般に戦争と住宅とは逆説的な関係にあると理解されがちである。戦争は往々にして人々から住宅を奪うからである。しかし戦争により住宅のあり方を見直す動きが出てくることにも注目せねばならない。戦時中には全額政府出資の特殊法人である住宅営団が発足した。これは国家による労働者への住宅の直接供給を大規模に実行することを計画していたが、その目的は国家の生産力拡充だった。つまり住宅を労働力再生産装置として機能させることを目指していたのである。

 京都帝国大学講師だった建築学者・西山夘三は、1941年から44年まで住宅営団に研究員として勤務した。彼は大衆の住む住宅を大東亜戦争遂行のための「国民住居」として把握すべきことを提唱した。彼は大正時代の生活改良運動の中で登場した新中間層のための「文化生活」や「文化住宅」の構想に基づいた住宅政策は、邸宅への欲望を前提とする商品である限り、真に「国民大衆」のための住宅とは評価しえないと考えた。そして下層・労働者向けにも公共的住宅の居住者に対する生活指導を組織する必要を説いた。

 この考えに基づき、彼は京都、大阪、名古屋など工場労働者の多い大都市を中心に、狭小住宅に居住する労働者家族がいかに住宅内部を使用しているか調査を実施した。その結果、特定の部屋で集中して寝る「集中就寝」や、食事室を寝室とは別に確保する「食寝分離」などの傾向を見出した。そしてこうした階層の人々の自己の身体に対する配慮の仕方を視野に入れつつ、彼らの生産力向上につながる住居を供給すべきことを説いた。

 西山の構想は、戦時中は政府上層部の反対で結局頓挫することになった。しかし彼の実施した住み方調査に基づく住宅設計は、戦後多くの研究者を巻き込みながら本格的に展開されるようになった。1955年に発足した日本住宅公団の採用する住宅システムの中にもそれは見出すことができる。

(報告:岩佐将志=先端社会研究所専任研究員)

先端社会研究所 定期研究会(第9回)『共同研究「戦争が生み出す社会」4』更新日:2009-02-25; 著作権者:ASR

日時:2008年12月19日(金)15:00~17:00
場所:先端社会研究所セミナールーム(社会学部棟3階)
報告者:野上 元(筑波大学大学院人文社会科学研究科准教授)

題目:「『総力戦』の歴史社会学の可能性~『戦争体験』の位置」

概要:
 いわゆる「新しい戦争」の時代にある現在、20世紀の「総力戦」や「戦争体験」を考えることにはどのような意味があるのだろうか?
 社会の軍事化や軍隊・軍部という組織についての分析、ミリタリー・カルチャーの研究など、「軍事社会学」は可能である一方で、「戦争社会学」は、戦争という現象が社会学の想定する社会性を越えてしまうところにあるためか、いくつかの貴重な例外を除いて、なかなか成り立ちにくいように思える。
 問われるべきことは、「平和を願うこと」や「戦争体験を継承すること」じたいの価値を損なうことなく、その前提となっているものを再考し、それを戦争の歴史の文脈に位置づけて「現代」につなげることだろう。「戦時動員」はまだ戦争が勃発していないところから始められるし、「戦争の記憶」は、語ることや書くことの「戦-後」的な作用のなかで生成されるものだ。ではそのあいだにある戦場にはどのようにアプローチするのか?(そもそも「戦場」とはどこをさすのか?)
 『戦争体験の社会学~「兵士」という文体』(弘文堂、2006年)を書いていて考えていたのは、そのようなことであったのだが、本報告では、さらに「その後」についても考えてみたい。

発表者の主要著書:
『戦争体験の社会学~「兵士」という文体』(弘文堂、2006年)

(研究会の報告)
 本報告では、「どのようなかたちで戦争に巻き込まれて(参加させられて)いるのかが見えにくい<現在>を明らかにするために<歴史>を参照する」という問題関心の下、戦争の変容の歴史の中で現代社会を「総力戦」概念との関連で捉えることの可能性が考察されました。概要は大体以下の通りです。

 歴史学、社会学、文芸批評・思想史といった分野では、1990年代半ば頃までに、「戦争体験」を対象とした研究や議論が積み重ねられてきた。またこの時期以降、「戦争体験」そのものではなく、それが戦後社会でどのように意味づけられてきたかを問う「戦争の記憶」論が登場した。「戦争体験記」といったかたちで「戦争の記憶」が記録・記述・編集され、史料として生産される過程は、常にその時代においてすでに存在していた歴史意識との往還関係の中で理解されなければならない。例えば1920年代以降の日本では、「総力戦」を国家目標とする日本軍部が日露戦争を「総力戦」として後付け的に「記憶」し、当時の兵士の戦争体験記が重視される状況があった。これに対し、第二次大戦後には、銃後の生活、空襲、被爆など、市民の戦争体験に大きな価値が付与され、特に原爆の体験は冷戦下の世界において特権的な価値を与えられた「戦争体験」となっていった。

 冷戦下では、「テレビのなかの戦争」、サブカルチャーのなかの「戦争」など、兵士としてではなく、「想像すること」や「見ること」で戦争に組み込まれてゆくような戦争を人々は体験していたという考え方もあり得る。つまり「戦争体験が不可能である」という体験それ自体を「私たちの戦争体験」として、「冷戦の戦争体験」を記述してゆくことが必要になる。その意味で、<過去>の「戦争体験」の準拠枠組みとなってきた「総力戦」という概念の限界は視野に入れつつも、尚も<現在>を「総力戦」の時代としていかに理解することができるかを考察する試みには意味があるのでないだろうか。
 報告後の議論では、敵側が壊滅するまで戦闘を続けるという「総力戦」の定義上、冷戦期全般を「総力戦」と捉えることにどれだけ有効性があるのかという意見が提出されました。またベトナム戦争を人々がいかに「体験」してきたかなどを議論に組み込んではどうかという意見も出された。いずれにせよ、さまざまな論点が見出される報告となりました。

(報告:岩佐将志=先端社会研究所専任研究員)

先端社会研究所 定期研究会(第8回)『共同研究「戦争が生み出す社会」3』更新日:2009-02-25; 著作権者:ASR

日時:2008年12月5日(金)14:00~17:00
場所:先端社会研究所セミナールーム(社会学部棟3階)
報告者:島村恭則(関西学院大学社会学部教授)
    ラルフ・フッツェラール(関西学院大学先端社会研究所専任研究員)

■報告1
報告者:島村恭則(関西学院大学社会学部)
題目:引揚者が生み出した戦後の社会空間と文化

概要:
 報告者は、共同研究「戦争が生み出す社会」の分担研究として、「引揚者」(1945年の日本敗戦により、「外地」(旧植民地・満州国等)から「内地」へ帰還した人びと)が生み出した社会空間や「引揚者文化」についての調査を開始している。各都市に現存する商業地域の中には、「引揚者マーケット」などと称された闇市に由来するものが少なくないし、公営住宅の中には、引揚者集落の系譜を引くものも少なからず存在する。また、餃子、屋台ラーメン、満州鍋、明太子、ジンギスカン、ジャジャ麺などのように、引揚者によって生み出され、それが広く社会で受容された食文化も存在するし、引揚者による戦後の起業が、のちに大企業化したケースもある。
 今回は、こうした問題領域についてこの数ヶ月間に行なったフィールドワーク―小樽・函館・秋田・福岡・八女・熊本など―の成果を写真資料を多用しながら報告する。

発表者の主要著書:
『物と人の交流』(日本の民俗 3)、共著、吉川弘文館、2008年。
『新しい民俗学へ』共著、せりか書房、2002年。
『近代日本の他者像と自画像』共著、柏書房、2001年。
『日本より怖い韓国の怪談』河出書房新社、2003年。

■報告2
報告者:ラルフ・フッツェラール(先端社会研究所専任研究員)
題目:Making Use of History: War and the Study of Modernity

概要:
 Wars are a traditional subject, indeed the traditional subject, of historical
inquiry. A veritable industry of war studies has developed, employing thousands of scholars. In the other social sciences on the other hand, war has never played a very prominent role. Wars are, mostly, of a very temporary nature, which places them more or less outside the scope of most sociologists and anthropologists. But the lasting impact of wars, especially in the twentieth century, make them an important component of modern society. A critical assessment of the findings of historical research, especially with regard to the impact of war on spatial organization, can contribute significantly to the social sciences.

発表者の主要著書:
 "Lard, Lice and Longevity: A Comparative Study of the Standard of Living in Occupied Denmark and the Netherlands, 1940-1945" (Aksant Academic Publishers, 2008年)

注:この発表は英語で行われますが、通訳がつきます。

(研究会の報告)
 島村教授の報告では、第二次世界大戦後に日本の旧植民地から引き揚げてきた、およそ600万人にのぼる人々の戦後の生活実践について、豊富なフィールドワークに基づいた考察が行われました。概要は以下の通りです。

 引揚者の多くは故郷に帰ることが出来ず、日本各地で貧困の中で新たな仕事を始めることを余儀なくされた。小樽・函館・秋田・福岡・八女・熊本など、各地に現存する商業地域の中には、「引揚者マーケット」などと称された闇市に由来するものが少なくないし、公営住宅の中には、引揚者集落の系譜を引くものも少なからず存在する。また、餃子、屋台ラーメン、満州鍋、明太子、ジンギスカン、ジャジャ麺などのように、引揚者によって生み出され、それが広く社会で受容された食文化も存在するし、引揚者による戦後の起業が、のちに大企業化したケースもある。
 このように、戦後の日本社会でごく自然に受け入れられている風景や文化の一部は、実は引揚者によってうみだされたものであることが指摘されました。
 フッツェラール研究員の報告では、「戦後社会」に関する理論を発展させることの必要性が議論されました。主旨は以下の通りです。
 歴史学においては戦争は大いに興味をそそる研究テーマであるのに対し、他の社会科学はこのように短期的で、正常な社会状態から逸脱した時期の出来事は、主要な考察の対象とはしにくかった。そうは言うものの、社会科学は戦争がうみだされる要因についていくつかの理論をうみだしてきた。しかし今求められているのは、戦争がいかなる社会をうみだすかに関する考察である。

 「劇場的」な要素のあった古代の戦争や、雇用兵によって戦われた産業化以前の戦争と異なり、近代以降の戦争は多くの一般人を巻き込むものとなった。徴兵制の導入や、武器開発の技術的進展により、2度に渡る世界大戦は、敵が完全に崩壊するまで終結しない総力戦をうみだした。第二次大戦後の社会では総力戦は影を潜めたが、米ソ両大国の代理戦争がうみだされ、小規模集団が小型化・携帯化された武器を用いて大国をかく乱する戦術が用いられるようになった。このように世界各地の社会の大半は、総力戦あるいは代理戦争の上に成立しているのであり、その意味で「戦後社会」を理解する知的枠組みの構築が必要である。そのためには、戦争トラウマに対して各社会がいかに向き合ってきたか、戦争犠牲者の語りを重視する記憶文化の登場、戦争によって異なるエスニック集団同士の関係がどのように影響を受けるかなどについて研究を進めることが重要になるだろう。


(報告:岩佐将志=先端社会研究所専任研究員)

先端社会研究所 定期研究会(第7回)『共同研究「戦争が生み出す社会」2』更新日:2009-02-25; 著作権者:ASR

日時:11月14日(金)15:00~17:00
場所:先端社会研究所 セミナールーム
報告者:福間良明(立命館大学産業社会学部准教授)

題目:「『戦争体験』の変容と教養主義」

概要:
 戦没学徒の手記を集めた『きけわだつみのこえ』(1951年)は、もっとも世に知られた遺稿集である。だが、大学生・専門学校生という当時のインテリ層の手記を集めただけでしかないこの書物は、なぜ、そしていかにして、国民的な「反戦の正典」となったのか。
 そもそも、発刊当初、年長知識人はこの書物に「教養の欠如」を見出していた。『戦没農民兵士の手紙』(岩波新書・1961年)の発刊を機に生じた「農民兵士論争」では、しばしば『きけわだつみのこえ』から「インテリ=学徒兵」の戦争責任が想起された。1969年5月には、立命館大学において全共闘の学生たちが、「わだつみ像」(遺稿集『きけわだつみのこえ』を記念して建立された像)を破壊し、首に縄をかけて引きずり回すという事件が起きた。
 にもかかわらず、今日、この遺稿集は岩波文庫の一書として、「古典」の地位を得ている。では、戦後の国民は、「わだつみ=戦没学徒」に何を見出し、また、それはいかに変化したのか。本報告では、こうした問題関心に立ちながら、戦争体験論の変容と、その背後にあった教養主義の問題について、議論したい。

発表者の主要著書:
『「反戦」のメディア史――戦後日本における世論と輿論の拮抗』(世界思想社、2006年)、『殉国と反逆――「特攻」の語りの戦後史』(青弓社、2007年)など。

(研究会の報告)
本報告では、戦没学徒の遺稿集として今日戦記の「古典」の地位を得ている『きけわだつみのこえ』(以下『わだつみ』と略)(1951年)が、実際には戦後さまざまな受容のされ方の変遷を経てきたことが説明されました。概要は大体以下の通りです。

 発刊当初、年長知識人はこの書物に「教養の欠如」を見出していた。終戦時に30歳以上だった「戦前派」の知識人は青春期に自由主義やマルクス主義に触れており、そのことから戦没学徒世代、すなわち「戦中派」のことを、正規カリキュラム以外の知識・教養を知らない世代として蔑む傾向があり、『わだつみ』批判はその延長線上に位置していた。

 しかしながら、1950年前後には人生雑誌ブームが起こり、エリートのみならず、義務教育以上に進めない層の間でも教養を求める雰囲気が広がった。『わだつみ』は1960年代まで、このような文脈において「庶民的教養主義」と結びつきながら受容されていった。

  ところが1969年5月には、立命館大学において全共闘の学生たちが、「わだつみ像」(『わだつみ』を記念して建立された像)を破壊し、首に縄をかけて引きずり回すという事件が起きた。彼らにとって戦没学徒世代は自分たちの「敵」である大学教師と重なり合う部分があるものと捉えられ、『わだつみ』は「反戦」ではなく「反動」のシンボルとみなされたのだった。

 初刊から33年後の1982年、『わだつみ』は岩波文庫から刊行された。このことにより本書は正典化したものの、庶民的教養から乖離した、エリートに閉じたものに変質していった。また同時に、戦没学徒には教養があり、だからこそ戦争責任を取りえる主体だったのではないかという論点を生じさせた。つまり教養があるかないかということが戦争体験論を展開させる一つの座標軸として機能する状況を生み出した。

 報告後は、教養の規範が有効性を失いつつある現代において戦争体験論を受容してゆくことの意味などについて、話し合いが行われました。

(報告:岩佐将志=先端社会研究所専任研究員)

先端社会研究所 定期研究会(第6回)『共同研究「戦争が生み出す社会」1』更新日:2009-02-25; 著作権者:ASR

日時:10月31日(金)14:00-16:00
場所:先端社会研究所 セミナールーム
報告者:一ノ瀬俊也(埼玉大学教養学部准教授)

題目:戦時社会における「公正」とは何か?―1942年の応召者手当統一問題をめぐって

概要:
 近年の日本近代史、とくに戦時体制研究においては、「強制的同質化」といった概念が導入され、戦争を経験することで社会が均質化され、それまでの格差が是正されるといった議論が盛んである。たしかにマクロの視点からみればその通りであろう。ただ、近年のいわゆる「格差社会」の進行とともに、戦争が社会的不公平を解消してくれる魔法の杖か何かであるような幻想が一部に生じつつあるようにも見受けられる。本報告では、けっしてそのようなことはないのだということを示すために、太平洋戦下の1942年に当時の主要経済団体・日本経済連盟会が提起した、応召企業労働者に対し留守家族の生活維持のため企業が支給していた「応召者手当」の統一基準案作成問題をとりあげる。この案はそれまで各企業間でまちまちであった手当の額などを統一し「社会的公正」の実現をめざすという口実で作られたものであるが、大企業の真の意図はべつにあった。
 基準案の作成時に、大企業と政府の間で交わされた議論の実際を追うことで、戦時下において「社会的公正」なるものがなぜ叫ばれるに至ったのか、そしてその結果として格差はどこまで解消されたのか、あるいはされなかったのかについて考える契機としたい。

発表者の主要著書:
『近代日本の徴兵制と社会』(吉川弘文館、2004年)
『明治・大正・昭和 軍隊マニュアル』(光文社新書、2004年)
『銃後の社会史』(吉川弘文館、2005年)
『日本軍事史』(共著、吉川弘文館、2006年)
『戦場に舞ったビラ 伝単で読み直す太平洋戦争』(講談社選書メチエ、2007年)
『旅順と南京 日中五十年戦争の起源』(文春新書、2007年)
『宣伝謀略ビラで読む、日中・太平洋戦争』(柏書房、2008年)

発表者の主要論文:
「日本陸軍と"先の戦争"についての語り―各連隊の「連隊史」編纂をめぐって」(『史学雑誌』112-8、2003年8月)
「日露戦後~太平洋戦争期における戦死者顕彰と地域―"郷土の軍神"大越兼吉陸軍歩兵中佐の事例から」(『日本史研究』501)2004年5月)
「皇軍兵士の誕生」(『岩波講座 アジア・太平洋戦争5 戦場の諸相』岩波書店、2006年)
「銃後史研究の可能性―「戦死の伝えられ方」をめぐって」(『歴史評論』689、2007年9月)

参照:Wikipedia関連リンク

(研究会の報告)
 本研究会では、講師の一ノ瀬先生により、戦時下日本の兵士の所得保障に見られるさまざまな不公平について報告がありました。その概要は以下の通りです。

 日中戦争が勃発した1937年以降、政府は一家の働き手が出征したことにより生活が困難になった家族・遺族に対し、「軍事扶助法」を制定して各種免税措置を行った。一方、大企業や官庁では、軍に応召された社員や職員に対して、程度の違いこそあれ、月給のかなりの部分を支給する応召手当の制度を整えた。このことは、自営業者、農家、商人など、応召手当てとは縁のない帰還兵たちの羨望、怨嗟の的となっていった。

 戦争が長期化した1942年、当時の主要経済団体・日本経済連盟会が応召企業労働者に対する応召手当てを削減する方向で統一基準を作成するための官民懇談会を開催した。ここでは「社会的公正」の立場上、何の所得保障も受けていない農民、自営業者などがいる以上、民間企業からの手当ても減額されるべきだとの主張が見られた。しかしこのことは実際には、応召手当てのコストを削減したいという大企業としての「経営の論理」が押し出されたことの帰結だった。

 報告後のディスカッションでは、戦争が社会階層を平準化させるという近年見られる議論に対し、本報告がどの程度その反証としての可能性を有するのかが話題にのぼりました。また昭和初期までの軍隊と異なり、日中戦争以降大量の兵士を動員することが必要になった軍隊には、兵士内部の階層間対立など、さまざまな意味で「社会」が紛れ込むようになったという話がありました。

(報告:岩佐将志=先端社会研究所専任研究員)

先端社会研究所 定期研究会(第5回)『書評会』更新日:2008-10-20; 著作権者:ASR

書評会「金菱清著『生きられた法の社会学 伊丹空港「不法占拠」はなぜ補償されたのか』(新曜社)を読んで」

日時:10/8(水)17:00-19:00
場所:先端社会研究所セミナールーム(社会学部棟3階)
討論者:高橋裕(神戸大学法学部)
    竹中克久(関西学院大学先端社会研究所専任研究員)
著者からの応答:金菱清(東北学院大学教養学部)
司会:三浦耕吉郎(関西学院大学社会学部)


(研究会の報告)
 2008年度先端研ウィーク(10月6日~10月10日)におけるシンポジウムにあわせ、登壇者の金菱清先生の著作を、法学・法社会学(高橋氏)、社会学(竹中)の観点から書評会を開催しました。

 高橋氏は〈生きられた法〉の成立根拠としての「等価性」に対して、高い評価を与えられたほか、法と法律の差異の重要性を指摘されました。また、竹中は〈生きられた法〉が作動する社会的条件の解明が、伊丹空港の事例を普遍化できるのではないかとの問いかけを行いました。

 今回の研究会は学際的なディスカッションにより、双方にとって思いもよらない知識を獲得できた「場」が形成されたように思われます。

(報告:竹中克久=先端社会研究所専任研究員)

先端社会研究所 定期研究会(第4回)「旧軍用地の利用に関する研究」更新日:2008-10-28; 著作権者:ASR

日時:2008年9月16日(火)10:30-12:00
場所:先端社会研究所セミナールーム

題目:「旧軍用地の利用に関する研究-吉林省延辺朝鮮自治区の場合」
報告者:荻野昌弘(社会学部教授/先端社会研究所所長)

(研究会の報告)
 本研究会は、前回の研究会で「戦争が生み出す社会」を本研究所の共同研究テーマと決定したことを受けて開催されました。まずはじめに荻野所長がこれまで行ってきた、旧日本軍軍用地の跡地が戦後いかに利用されてきたかに関する研究についての簡単な報告がありました。

 次に荻野所長が最近訪れた中国吉林省延辺朝鮮自治区における旧日本軍軍用地の変容について、現地で撮影した映像を交えての報告がありました(以下の写真参照)。この地区では旧軍用地が農地、国有企業の工場、民間企業の所有地とさまざまな変貌を遂げてきたこと、現在では経済発展に伴って漢族人口が増加したことにより、朝鮮族が自らのアイデンティティ維持に強い関心を持っていることなどの説明がありました。

 発表終了後は、朝鮮族がこの地域に集住することになった歴史的経緯がいかに戦争とかかわっているのか、戦時中に開発された科学技術が戦後転用されていった事例についてまとまった資料はないかなどについて意見の交換が行われました。

(報告:岩佐将志=先端社会研究所専任研究員)

延吉1「旧日本軍の掩体壕(延吉郊外)」

延吉1「旧日本軍の掩体壕(延吉郊外)」

延吉2「かつて軍事基地があった場所で、現在は工業用地となっている(延吉郊外)」

延吉2「かつて軍事基地があった場所で、現在は工業用地となっている(延吉郊外)」

先端社会研究所 定期研究会(第3回)「戦争が生み出す社会」更新日:2008-10-20; 著作権者:ASR

日時:8月1日(金)13:30~15:00
場所:先端社会研究所セミナールーム

(研究会の報告)
 この研究会には先端社会研究所の専任・兼任研究員が出席し、今後の共同研究計画について話し合いが行われました。その結果、「戦争が生み出す社会」というテーマで複数年に渡る研究プロジェクトを遂行してゆくことで合意に達しました。ここでは戦争研究を社会学上の重要課題と捉え、「移動」と「空間」に着目する新たなアプローチや、それに伴う社会調査法の革新を視野に入れた研究を進めてゆく予定です。その目指すところは、戦争によって生み出されるさまざまな「他者」を、空間の問題として捉えることの重要性を指し示してゆくことにあります。

 今年度は萌芽的研究の期間と位置づけ、今後の定期研究会において研究報告を行うことが決まりました。

(報告:岩佐将志=先端社会研究所専任研究員)

先端社会研究所 定期研究会(第2回)「『民族』の記憶と表象」更新日:2008-10-20; 著作権者:ASR

研究会のテーマ:「『民族』の記憶と表象」
共催:関西学院大学社会学部研究会例会

日時:6月25日(水)17:00~18:30
場所:関西学院大学上ヶ原キャンパス E号館104号教室

報告者:島村恭則(関西学院大学社会学部教授)
コメント:山路勝彦(関西学院大学社会学部教授)
司会:阿部潔(関西学院大学社会学部教授)

報告の題目:「『他者』性の民俗学へ」

概要:
 民俗学は、当事者性を重視し、フィールドで出会う「小文字」のことばにこだわりながら、「生活の総体」をまるごと捉えようとしてきたところに特徴がある。これは民俗学という学問の方法的個性であり長所であるといえるが、一方で、フィールドを国内に限定しがちで(一国民俗学)、かつ国内の文化的多様性についてもこれを正面から取り上げることは少なかったという問題がある。さらに、議論を民俗学という狭い学問体系の中に閉じ込めがちで、隣接諸学との対話や相互乗り入れについてはきわめて消極的であった。これらの欠点は、一言で言えば、「『他者』性の欠如」ということになるが、報告者は、こうした民俗学の欠点を克服した上で、民俗学が本来持つ学問的個性を十分に深化させた新たな民俗学のあり方―「『他者』性の民俗学」―を模索中である。

 本報告では、報告者の構想する「「他者」性の民俗学」について、在日朝鮮半島系住民のもとでのフィールドワークの成果等もふまえながら、構想を述べたい。

先端社会研究所 定期研究会(第1回)「景観を計量社会学する」更新日:2008-10-20; 著作権者:ASR

共催:関西学院大学社会学部研究会例会

日時:5月28日(水)15:30~17:30
場所:関西学院大学上ヶ原キャンパス E号館103号

報告者:渡邊勉(関西学院大学先端社会研究所副所長・関西学院大学社会学研究科教授)
    中野康人(関西学院大学社会学研究科准教授)
司会:古川彰(関西学院大学社会学研究科教授)

題目:「景観を計量社会学する」

概要:
 景観とは、一方でみんなが景観を享受できるという公共財としての特徴を持っていますが、基本的に景観を形成しているのは個人の所有物である土地や建物であり、私有財としての特徴も同時に有しています。それゆえ、景観を維持するために、単純に規制すれば解決するという問題ではなく、景観についてさまざまな意見を持つ他者といかに理解し合うか、合意をするかという「他者問題」であるともいえます。
 本研究会では、西宮の都市景観(中野)、安曇野の農村景観(渡邊)という景観をめぐる状況が大きく異なる2つの事例について、意識調査、GIS、国勢調査データなどさまざまなデータを計量的な手法によって分析することで、景観の問題を社会学的にどのように扱うことができるのか、問題提起をおこなっていきます。