「学校長からみなさまへ」を更新し、「分け合えば余る」を掲載しました。

[ 2019年2月1日   更新  ]

2019年2月「分け合えば余る」

「阪神淡路大震災」分け合えば余る

「阪神淡路大震災」分け合えば余る

                           “Mastery for Service”
                            “幼子はたくましく育ち、
                              知恵に満ち、
                              神の恵みに包まれていた“

                              1月17日「命を守る学習」
                             


今から24年前、1995年1月17日の朝5時46分に驚くほど大きな地震がこの阪神地域を襲いました。一回家が宙に持ち上がり、そこで大きく横に揺れたように感じました。ピアノやタンスが倒れ、テレビが飛び出し、食器棚の扉が開いて中から食器が飛び出して割れました。外に出て、車の中で、ラジオをかけて家族でしばらくの間過ごしました。でも、ラジオの情報からは何が起こっているのか分かりませんでした。この時、阪神、淡路島を中心にした大きな地震の発生で、6,434人の人が崩れた家や家具の下敷きになったり、火事が出たりして亡くなりました。
7時前そのころ勤めていた小学校にオートバイで向いました。その途中、本当に沢山の家が上から押し潰されたようにグシャッと崩れて道路をふさいでいました。国道43号線の西宮えびす神社の近くで阪神高速道路が落下し、バスが空中にはみ出して止まっているのを見ました。また、阪神高速道路そのものが神戸の青木のあたりで大きく崩壊し、支柱の根元から横に倒れていました。本当に信じられないような光景がいっぱいありました。学校が避難所になり、水もガスもない、寒い寒い中、たくさんの人が一緒に暮らす生活が始まりました。全国からたくさんの物資が届けられました。たくさんのボランティアの人が来てくれました。水道やガスの復旧、ゴミや廃棄物の処理のために、九州や関東などの都市の名前を書いた車が続々と集まってくれました。3月20日には避難されている方やボランティアの方に祝福されて6年生が卒業していったことが忘れられません。

2011年3月11日、東日本大震災が起こりました。マグニチュード9。大きな津波が東北地方を襲い、1万5千人以上もの人が亡くなりました。その直後から、インターネットに次々と書き込みがされ、話題になりました。「4時間の道のりを歩いているときに、『トイレのご利用をどうぞ』と書いたスケッチブックを持って、自分の家のお手洗いをだれにでも使わせてくれた女性」「家が津波で流されて、自分は避難所にいるのに、店が大丈夫だったからって、ただでラーメンをみんなに食べさせているラーメン屋さん」 「レストランで地震があって、お客さんに外へ避難してもらった。でも、こんなときなのに、ほとんどのお客さんが戻ってきてお金を払ってくれた。」「凍えるほど寒いのに、毛布を譲り合っていた人」こんなに素晴らしい行いがたくさん書き込まれました。

阪神淡路大震災も、東北大震災も、また熊本や大阪北部そして北海道でもこれまでにそこに暮らす人々が経験したことのないような被害をもたらしました。大切な人を失った心の傷が癒えることはありません。でも、そんな大災害のなかで、わたしたちは誇りを失わず、ルールを守り、互いにいたわりあって来ることができました。
「人は奪い合えば足りないが、分け合うと余る」大きな災害が繰り返し私たちを襲います。しかし、私はこの言葉をこれからもしっかりと心に留め、子どもたちに伝え続けたいと思います。