創立者の精神と歴史

[  2015年7月6日   更新  ]

126年の関西学院の歴史と伝統が子どもたちの夢を大きく育みます。

最後列右から4人目がW.R.ランバス

最後列右から4人目がW.R.ランバス

創立者ランバスの精神

ランバス院長

Walter Russell Lambuth(1854~1921)


関西学院は、伝道者の育成とキリスト教主義に基づく青少年教育をめざし、1889(明治22)年にアメリカ・南メソジスト監督教会の宣教師、ウォルター・ラッセル・ランバスによって設立されました。ランバスは、医療宣教師として中国で活動した後、来日。日本をはじめ世界4大陸で伝道、教育、医療活動にあたりました。その足跡は遠くアフリカ・コンゴにまで及び、「世界市民にしてキリストの使徒」というランバス家の記念碑銘どおり、グローバル・サーバント(世界への奉仕者)としての生涯を送りました。ランバスの精神は今日、広い教養と高い人間性・専門性を持ち、創造力、課題発見・解決能力、実行力を生かして、世界で貢献できる人物を育成する関西学院の教育理念の根幹になっています。

ベーツ院長と“Mastery for Service”

ベーツ院長

Cornelius John Lighthall Bates(1877~1963)


関西学院に赴任したカナダ人宣教師のC.J.Lベーツは1912年(大正1)年、“Mastery for Service”を提唱。第4代院長就任とともに、この言葉は学院全体のスクール・モットーとなりました。そこには、異なる文化や考えの人々に敬意を払いながら、世界市民として平和と幸福をつくりだす人間としての真の実力を身につけようという思いが込められています。「知識を求めるのは、単に知識のために求めるのではなく、まして名誉のためではなくて、人類に対してより良き務めをなすことができるものとして、自らに備えんがため、これをなすような者でなければならない」と語ったベーツの思いは、関西学院のスピリッツとして脈々と受け継がれています。

ベーツ院長

校名の由来

校名の由来

「かんせいがくいん」という校名は西日本の指導者となる意味で名づけられました。当時のミッションスクールの大半が「英和学校」「英和女学校」と名乗るなか、慣習を打ち破って「学院」と命名。「関西」を「かんせい(クヮンセイ)」と読むのは、当時の学生が東京を「トウケイ」と呼ぶなど地名を漢音読みする傾向があったことにちなんだものです。現在の学風につながる自由な発想が校名からも垣間見えます。

校章三日月の由来

校章

創立から5年後の1894年に教員・生徒から成る委員会でこの校章が決定されました。
それは、月が太陽の光を受けて自らを輝かせるように、われわれは神の輝きを常に受けて自らを輝かせる者であるという自覚と、新月がやがて満月へと完全を目指して輝く存在であるように、ひたすら理想を憧れ求めて、進歩向上していくことを象徴しています。

初等部エンブレム

初等部エンブレム

校章「三日月」を中央に配した関西学院初等部独自の初等部エンブレムを制定しています。制服につける徽章として用い、初等部グッズ、印刷物にも用いています。子どもたちは初等部エンブレムを身につけ、関西学院で学ぶ誇りと校章の持つ意味をいつも心に覚えて学校生活を送ります。

校歌「空の翼」の由来

校歌

山田耕筰直筆楽譜

関西学院は大学昇格を目指して1929年3月に関西学院発祥の地である神戸原田の森から西宮上ケ原にキャンパスを移転しました。その3年後の1932年3月に関西学院大学(旧制)が認可され、学生会、教職員、宣教師たちの長年の熱意と努力が結実しました。上ケ原キャンパスの新しい空気は新しい校歌作成の気運を生みました。翌1933年に学院同窓の山田耕筰氏に校歌の作曲を委嘱し、同氏の推薦で北原白秋氏が作詞を引き受けました。二人はその年の夏に関西学院を訪れ、ポプラが薫風に羽ばたき、光に満ち、学生は希望に輝き、緑あふれる美しいキャンパスの風景を嘆賞されました。こうして校歌「空の翼」は9月に完成し、山田耕筰氏を学院に招いて発表会が行われました。山田耕筰氏が自らタクトを振って全学生の大合唱を指揮し、風、光、力、若さ、躍々たる自由の気が上ケ原キャンパスにみなぎりました。

空の翼 関西学院校歌_(1番のみ)その他のファイル [ 800.85KB ]

初等部校旗

校旗

初等部が開設された2008年度から初等部校旗が制定されました。伝統のKGブルーに校章三日月と十字架をあしらったデザインです。体育祭などの行事のある日は、グラウンド側の校舎の前に立てられた掲揚台に掲げられ、翩翻とひるがえります。