鈴木 慎一郎教授(1)

[ 編集者:社会学部・社会学研究科      2015年10月21日   更新 ]

学問の魅力に気づいた大学時代

社会学との出会いはどのようなものでしたか?

鈴木先生

私は、音楽を題材にした文化の研究、たとえば、複数の文化が混じり合ったりアイデンティティが複雑化したりすることについて研究しているのですが、その入り口となった学問との本格的な出会いは、大学2年生の頃です。
でもそれより前、中学生の頃から音楽を意識的に聴き始め、音楽雑誌に載っている評論文を、意味を深く考えながら読んだりもしていました。当時は、新譜情報だけでなく、濃い評論の文章が詰まった音楽雑誌が、何種類か刊行されており、その頃の現代思想や文化批評などとも、近い距離にありました。
私のそんな趣味は、周りのほとんどの友人とは違っていました。得意になっていた部分もあったのでしょうが、自分にとっては、それを取ったら何も残らないという、切実なものでした。

どのような大学生時代でしたか。

本との出会いや、自分なりに選んだ講義を聴くのを、楽しんでいました。
本で言うと、上野千鶴子先生の『構造主義の冒険』(勁草書房、1985年)からは、祝祭論や「中心と周縁」の理論に、後まで続く興味をかき立てられました。日本文学の前田愛先生の授業では、「読者論」という研究に触れることができましたが、これも後で自分の中では、文化の「受け手」側に関する研究とつながってきます。現代音楽に関する庄野進先生の授業では、提示される視点の新鮮さに加えて、こんなぶっ飛んだ曲が授業でかかるなんて!と、坐って聴きながら内心狂喜していました。
読書やら授業やら、大学入学後に吸収したいろんなものを通して文化人類学に興味を持つようになり、3年生からのゼミでは人類学者の青柳真智子先生にお世話になりました。

当時の先生が魅かれた授業は革新的なリベラルアーツということでしょうか。

積み重ねられた知を大切にしつつ、既存の枠を想像力で跳躍していくような、冒険的な講義が多かったように思います。また、特に文化人類学は、各地の人々の想像力の広がりを垣間見せてくれました。学者のそれであれ、世界の諸民族のそれであれ、私は、人間の想像力が発揮しうる可能性に魅かれていたようです。もちろん、社会学部に身を置いている現在は、いわゆる「事実」も大切だと教えなくてはなりませんが。
例えば、現実は唯一絶対のものではないという「多元的現実」の考え方や、周縁に位置するものが中心の権力に一時的にではあれ足払いをくわせるという「中心と周縁」の理論に、当時の私はこの上ない知的興奮を感じていました。
それぞれの先生が、とにかく楽しそうに講義をしていました。スマイルを欠かさないとかギャグを挿みこんでくるとかということではなく、この先には何だか奥深い世界が広がっていそうだ、と常に感じさせてくれていたという意味です。

研究者の道に進まれた経緯を教えてください。

レコードの写真

文化人類学では個別社会をフィールドとして研究することになるため、前々からジャマイカ音楽が好きだったこともあってカリブ海のジャマイカに約3年半留学しました。
最初に意識的に聴き始めた音楽はロックでしたが、英国の音楽シーンにおけるジャマイカ系人口の影響について知ったのがきっかけで、ジャマイカ音楽を聴くようになりました。旧英領ジャマイカから英国への移住のように、具体的な人の流れが地球各地で次々と新しい混成的音楽を生んだのが、20世紀後半という時代でした。
指導教員の青柳先生のフィールドはオセアニアで、まったく離れたジャマイカをフィールドにすることに私は不安も覚えましたが、当時の日本ではカリブ海地域を専門とする人類学者がまだまだ少なかったこともあり、やってみることにしました。
ジャマイカでは、人間の陽の部分も影の部分もともに触れることが多く、それによって人間の複雑さを思い知るとともに、「人間らしさ」なるものに一層興味を抱くようになりました。

鈴木教授のインタビューは(2)まで続きます!

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