鈴木 慎一郎教授(2)

[ 編集者:社会学部・社会学研究科      2015年10月21日   更新 ]

社会学的想像力とその可能性

どのような授業をご担当ですか?

鈴木教授

「ポピュラー音楽論」という講義を担当しています。音楽は、技術によって伝達拡散されることで、私たちが好むと好まざるとにかかわらず、日常の至る空間で流れています。こうしたポピュラー音楽と私たちのかかわり方について考えることで、資本主義の中で文化とかかわる上で私たちはどれだけ「自分らしさ」を確保できるのか、という大きな問いへとつなげていくのがねらいです。
また、「研究演習(ゼミ)」では「非メインストリーム=主流ではないもの」の研究を近年のテーマに掲げています。アンダーグラウンドな文化が、一時的に商業化されたり、次世代の標準になったり、あるいは、細々とであれ「ひとつの生き方」として継承されていくことがあります。そうした文化が、他者攻撃に走ることなく、自らの「矜持」を保っていくにはどうしたらよいのか。そんなことをいろんな事例から考えていこうとしています。

非メインストリームという考え方について、もう少し教えてください。

「ストリートダンス」について卒業論文を書いた学生が何人かいます。ある学生は、イベントで音楽を提供するDJとしての経験から、それらの曲がどのように意味づけされ継承されているか、ということを研究しました。別の学生は、街の公共空間でダンスの練習を重ねてきた経験から、ダンサーたちと通行人や近隣住民との間に生まれる独特のコミュニケーションを明らかにしました。
音楽フェスに関する興味深い卒論もありました。日本の各地で近年行なわれている、有名資本絡みではない小規模な音楽フェスを「インディーフェス」と名づけ、DiY(Do it Yourself : できるだけ自分たちで楽しみを創り出す)文化として考察したものです。
ゼミには、音楽やお笑いやアイドルのファンだとか、何らかの趣味の実践者だというような、自身の立場性を研究のとっかかりにする学生が、常に何人かいます。そうした、いわば趣味嗜好の面でのマイノリティの立場性を、民族的マイノリティや性的マイノリティなどの「他者」の立場性と対照させつつ、マイノリティについて「横断的」に考えていってほしいというのが、私の願いです。

受験生へのメッセージをお願いします。

関学のいいところは、「阪神間」と形容される、大阪と神戸の「間=あいだ」というロケーションの絶妙さからもたらされるものが大きいと思っています。大阪でも神戸でもない、むろん京都でもない「阪神間」は、どっちつかずのようでいて、どっちでもあるという、「間」の魅力に溢れています。そして関学の中には、効率至上主義からすれば「余白」のような時間や空間が、そこかしこに存在しています。
「間」や「余白」を、あらためて肯定的に捉えたい。私の指導教員は『遊びの文化人類学』という本を著したこともありました。世の中には、単一の世界観で人を包囲してしまい、別の可能性をシャットアウトしてしまう大人がいます。そうした大人たちに騙されないための現実的な方策として、大学で社会学を学ぶことは有効だと思います。