

私は神学・キリスト教学を研究しています。国際学部に入学された皆さんと「キリスト教学」の授業などでいっしょに学ぶことになります。関西学院大学をささえる「建学の精神」はキリスト教主義であり、皆さんは共通に履修する科目としてキリスト教学を学びます。国際学部の皆さんがキリスト教学を学ぶことは、二つの点から大きな意味をもっていると考えています。第一に《世界に》むけた視野をもつために、第二に、そのような気概をもって《仕える人》になるためにです。
関西学院大学は米国南メソジスト監督教会の宣教師W・R・ランバスによって、キリスト教主義にもとづき日本の若者にすぐれた教育をあたえるために創立された学校です。創立者ランバスは日本だけでなく、アジアでは中国・韓国・朝鮮、またブラジル・メキシコ・キューバ、さらにアフリカ、ヨーロッパ各地と豪州以外の四大陸を駆けめぐりました。米国パール・リバー教会にあるランバスの記念碑に「世界市民にしてキリストの使徒」と刻まれています。《世界市民(world citizen)》とは「世界」に「市民権」ないし「国籍」をもつということであり、世界をみずからの活躍の場とし責任をもつことと理解できるでしょう。このような在り方は、メソジスト教会の創始者ジョン・ウェスレーが語った「世界はわが教区なり」という言葉、さらにはイエス・キリストの「全世界に行って」との命令に遡るものです。そして創立者ランバスをささえたキリスト教精神は関西学院につらなる人々に体現され、世界を舞台に活躍する幾多の先人を輩出してきました。皆さんにもこのような「世界市民」となる気概を、創立者の精神から学び共有してほしいと思います。
また、多くの人々にとって《キリスト教》は異文化であることでしょう。たとえば、キリスト教は一神教であるといわれますが、それを「排他的」と、じぶんと異なった見解だからといって決めつけてしまうような思考様式では、他者・異文化を理解することはできない相談です。キリスト教の考え方は、しばしば私たちの「当たり前」に対立することが少なくありません。それを異質なものだと拒むことは容易いことです。しかし、異質なものとの出会いは自分の育った国・地域の当たり前を見直し、別の視点から事柄を考える可能性を拓きます。元来、キリスト教は《神》という「人間を超えた者」の視点から、自分の当たり前を吟味することを求めるものでありました。そうしてこそ、自分中心な生き方が変えられ、他者を理解し共に生きる場がつくりだされるからです。これが「世界」に「市民権」をもつための条件だと思います。そのような世界市民は他者と共に生きることをめざして、他者のために働き《仕える》者となるにちがいありません。
関西学院大学には、いま述べたような「建学の精神」がいきづいています。皆さんは、それから多くを学ばれることと思います。このような大学での学びを通して、皆さんがすばらしい「関学人」となられることを期待しています。
【専門分野】宗教哲学、キルケゴールの宗教思想、デンマークの思想文化
【経 歴】筑波大学人文学類卒業、筑波大学大学院博士課程哲学思想研究科単位取得退学。デンマーク王国コペンハーゲン大学神学部にて在外研究(91年、96年、07年)。現在、関西学院大学神学部教授、学長補佐。