学生レポート_宗實 政樹さん

[ 編集者:経済学部・経済学研究科       2014年4月18日   更新  ]
学生リポート

第3回 卒業を迎える4年生から_2014年2月4日

宗實政樹さん

  【卒業年月】 2014年3月
  【名前】 宗實 政樹 (ムネザネ マサキ)
  【出身高校名】 大阪府立千里高等学校
  【研究演習名】 村田 治 教授
  【就職・進学先】伊藤忠商事株式会社

「一歩、前へ」-宗實 政樹

ピッツァー大学にて(右端が宗實さん)

ピッツァー大学にて(右端が宗實さん)

関学では、アメリカでの交換留学を経験し、この春からは総合商社で世界を舞台に働きます。このたびは、大学生活を振り返る機会を与えて頂きありがとうございます。

交換留学に行ったり、国内外を旅したり、ゼミやサークルを頑張ったり、バイトをかけ持ちしたりと、僕は欲張りな学生でした。こんな学生もいるのだと、読んでいただいた方に、何かの刺激を与えられたらと思います。

入学前に考えていた大学での目標は、未知の世界へ飛び込むこと。当時、それは交換留学を指していたと思います。そんな海外への憧れは抱いていたものの、高校まではサッカー漬け。そんな僕が、関学を選んだ理由の1つが、留学制度が充実している点でした。その中でも、プログラムの内容や期間、必要なお金のことを考えて、交換留学にいくことを目標とし、経済学部に入学しました。

宗實さん

入学時、大して英語ができなかった僕は、大学1年生の間はTOEFLに没頭しました。死に物狂いで勉強した甲斐もあり、ロサンゼルスにあるピッツァー大学に2年生の秋学期から交換留学できる推薦をもらえた時は本当に嬉しかったです。

ピッツァー大学での授業はあまいものではなく、本当に大変でした。授業では、論点をきちんと理解できていない状態で意見を求められ、半泣きの日が続きました。予習、復習、宿題と授業以外も勉強に追われる毎日。睡眠時間を削り、友人や教授の助けを借りながら、何とか乗り切りました。

また、留学当初、僕は英語がほとんど話せず、会話がまともにできませんでした。“お喋り”好きの僕にとって、友人が談笑しているのに、周りに合わせて笑うことしかできない自分自身が、不甲斐なく、とにかく悔しかったです。彼らと話したくて、留学中も必死に努力しました。実行したことは、話す機会そのものを増やすこと。要は、友人を増やすことでした。友人を増やす一番のきっかけとなったのはサッカーでした。拙い英語しか話せなくても、幼少から頑張って続けてきたサッカーが僕を助けてくれました。スポーツに国境がないことを体感できた経験でもあります。

「政樹は英語が話せなかった」と、新たにやってきた留学生に友人が話すと、驚かれるほど、英語の力は伸びました。英語のできなかったチビのアジア人の僕が、最も友人が多かったのではと自負しています。そういった友人たちと、最高の時間を過ごせた交換留学は、紛れもなく大学の一番の思い出です。そして今、世界各地の友人と現地で再会を果たせることは本当に嬉しいです。

海外に出て、日本の素晴らしさに改めて気付くというのはよく聞く話です。実際、留学先や旅先で、日本食が食べられたり、日本車が走っていたりするところを見て、世界で日本の食べ物や製品が認められているのだと誇りに思いました。一方で、世界には発展途上の国がまだまだ多く存在します。日本での生活がベストだとは思いませんが、彼らにもその選択肢を持ってほしいです。だから、世界で愛される日本であり続けることと、世界の豊かさを担うことにこれからは貢献したいと考えています。総合商社なら、ビジネスでそれを実現できると考えています。

僕を突き動かすものは、純粋に好奇心です。周りの人と違うことをすることは億劫です。でも、そこには踏み込んだ人にしか見えない世界が広がっています。踏み出す勇気を持つこと、そこで人以上の努力をすること。その重要性を、関学での学生生活、交換留学で再認識することができました。社会人となってもまだまだ頑張ります!“熱く、前へ。一歩、前へ。”