2014.04.01.
「われら関学経済人」 村西 利恵 さん

【卒業年月】 2003年3月
【名前】村西 利恵 (ムラニシ リエ)
【年齢】 30歳
【出身高校名】大阪府立春日丘高校
【研究演習名】根岸 紳 教授
【勤務先】 関西テレビ放送株式会社 アナウンス部

※ 本ページの内容は2011年1月現在のものです。

これまでどんな仕事をしてきましたか?

アナウンサー職で入社して8年目になります。最初の3年間はスポーツキャスターとバラエィ番組の司会、ニュース読みの泊り勤務を担当し忙しい毎日でした。25歳からニュースキャスターになり、今担当している「スーパーニュース アンカー」は5年目になります。関西のニュースはもちろん、政治・経済から国際情勢、スポーツにサブカルチャーまで様々な角度で切り取る番組の中で「アンカーマン」である山本アナウンサーを補佐する役割をしています。時間がゆるせば取材にも積極的に出ていて、最近では普天間基地の移設問題の取材で沖縄へ行ったり、潜水士の資格を取って海の中からのリポート取材を初体験したりしました。実際に現場の声を聞いてから読むニュースは、言葉に込める気持ちの入り方も変わってきます。月曜日から金曜日まで、毎日2時間弱の生放送に出演するために、体調管理に一番気を付けています。

経済学部ではどんな学生でしたか?また、どんなことを学びましたか?

一言でいうと、あまり活動的でない学生でした。高校時代に生徒会長や体育祭の応援団長、ハンドボール部のマネージャーに写真部の部長と忙しく過ごした反動で?経済学部に入ったとたん「何もしたくない症候群」になったのです。華やかに見えるサークルなども「大勢の知らない人と仲良くするなんて難しそう」という理由でどこにも所属せず。たまたま基礎ゼミが一緒だった2人の友人と気が合い、その友人たちとも仲良くなって、授業のあとはみんなで夜通しボーリングしたりゲームしたり。しかし、根岸ゼミに入ってから、部活やサークル・遊びをバリバリやっている子に限って成績もよい、という現実を目の当たりにし、そこから焦って単位を取り始めて・・・何とか4年で卒業することができました。そんな私でしたが一番頑張ったのがディベートで、もともとの理屈っぽい性格もあり、とことん議論したり人を論破することに面白味を感じました。仕事を始めてからは経済のニュースを読む中で金融や財政の専門知識が必要な場面も多く、経済学部の授業を受けていて良かった、と思うことは何度もありました。

今の経済学部生にメッセージをお願いします!

もしかしたらみなさんが今学んでいることは、将来自分が目指している仕事とのつながり、どう役に立つのか?ということが見えにくい勉強内容かもしれません。私はそうでした。でも、社会に出てみて、「あの時のあの授業を今もう一度聞いたらよくわかるのに」と思うことは何度もありました。今からでも、もう一度授業を受けに行きたいぐらいです。アドバイスとしては、どれだけ実際の社会と照らし合わせて学ぶか、ということだと思います。  就職活動が本格的に始まる前からインターンや希望する業界でのバイト、ボランティアなどを積極的に行うことは、学業の面においてもあなたが進むべき道を知る一助となるはずです。遊びたいさかりのみなさんに遊ぶなとはもちろん言いません、やるからには大いに遊べばいいと思いますがそれだけではなく、ぜひ視野を広げて将来的に自分はどうなりたいのか、そのためには今学んでいることを無駄にせずどう活かすのか、ということを常に考えながら日々過ごせば、とても4年間では足りないような充実した日々が送れるのではないでしょうか。

これから経済学部を目指す高校生にメッセージをお願いします!

関西学院大学経済学部に合格しましたと報告した時、家族、とりわけ6年前亡くなった祖父が喜んでくれました。祖父は関学法学部の出身で、学部は違えど孫が出身大学の後輩になったことがとても嬉しいと、大学時代の思い出話を色々としてくれたことを憶えています。それだけではなく、社会人になってからも「後輩だから」という理由で目をかけてくれる関学出身の先輩にたくさん巡り合いました。関西テレビの中でも関学出身者はとても多いですし、他業種の方でも「僕も関学経済なんです」と話しかけてくださいます。大学の卒業生のみなさんが温かい方ばかりなのは、この学校のもつ独特の気風なのかもしれません。私もきっと経済学部を卒業したみなさんと一緒に仕事をする機会などがあれば、「ああ後輩かあ」と目を細めてしまうことでしょう。歴史あるこの学部にはとことん学ぶ、自分を磨く、社会に羽ばたく環境はそろっています。大事なのは関学経済学部に入って、あなたがどう輝くかだと思います。キラリと光る、素敵な大人を目指してください。