2014.04.01.
「われら関学経済人」 川上 徹也 さん

【卒業年月】 1965年3月
【名前】川上 徹也 (カワカミ テツヤ)
【年齢】 69歳
【出身高校名】修道高校
【研究演習名】田中 金司 教授(国際金融論)
【勤務先】 パナソニック株式会社 経理大学学長
【現在の公職】   
CFO協会 理事   
日本証券業協会 自主規制委員   
関西学院大学大学院経営戦略研究科客員教授   
松下政経塾 監事   
経済産業省 高度金融人材産学協議会 会長代行   
大阪国税局 大関連 会長   関西経済連合会 評議員

※ 本ページの内容は2011年1月現在のものです。

これまでどんな仕事をしてきましたか?

昭和40年松下電器産業㈱(現パナソニック㈱)乾電池事業部に配属。平成8年本社経理部長、平成12年取締役、常務、専務、副社長
人生は運と縁-入社以来沢山の人と出会い多くのことを学んで育てられた。偶然役員になって以降2001年から6年間続いたいわゆる「中村改革」をCFOという立場から、最初から最後まで支えてきた。
伝統ある事業部制の解体、拠点統合、不採算事業からの撤退を断行し、バブル以降、長年の経営課題を解決し、B/Sを徹底的にきれいに軽くした。経営の仕組みを抜本的に見直し、資本コストを考えたCCM・キャッシュフローに変え、業績評価指標なども含めたグローバル連結体制に大きく舵を切った。
現在は改革の体験を風化させないため経理大学にて社員教育に身を捧げている。社外での講演会も多く、“改革の本質” “リーダーシップ” “会社での人生観”など話している。

経済学部ではどんな学生でしたか?また、どんなことを学びましたか?

●入学して色々な人に出会いたい
    その事を実現すべくESS、経済学会、新聞編集、SCA、神学部聴講、読書会など、忙しく活動した。
●チャペルアワー ~心境の変化~
    毎朝出席した。短時間で先生方の考え方や生き方のエッセンスがあり、とても面白く興味深く聴いたノートが残っている。
    心境も変化しはじめ、集中力も出はじめた。
    長島(癩病患者の療養施設が所在する岡山県の島)のワークキャンプを4年間継続
    -これは人生への影響は大きかった。教会を訪ねる契機になった。
●田中金司教授 ~教育の原点~
    心の炎が言葉に表われ「学ぶ」とはどういうことかを熱心に徹底して教えられた。
    歴史、理論、真摯な心、大きな背中に信頼感にあふれた人間力があった。
●仲間・友人 ~活力の源~
    ゼミ、SCA、ESS、学会、教会、それぞれよい仲間に恵まれ、
    下宿で朝まで議論したのも懐かしい。今日も交友は続いている。
    これは人生の宝。友人の影響でドストエフスキ等読書に時間を費やし、ベートーベンにものめり込んだ。

今の経済学部生にメッセージをお願いします!

私が大切だと思っていること
    ・WHY?を5回くり返し、物事の本質に迫る癖をつける。
    ・ものの考え方 ~本質的に・中長期的に・多面的に~
    ・テクニカルな勉強は企業では役に立たない。
    ・小さいことを考えている人は小さく育つ。
    ・本を読むくせをつける。
    ・人を説得する力を鍛える(ディベート力等)。
    ・経済学以外にも広く関心を持つ。
    ・グローバルを常に意識する。
    ・素直な心ですべてに接する。
    ・人と邂逅する。  
    ・教育の原点は「啐啄同時(そつたくどうじ)」
    ・3年日記を付け、日々反省と感謝をする。
 緑と運に恵まれて来た今の自分のことを感謝し、若き頃から意識しておけば良かったと感じることを伝えたいと書いた。どうぞ志高く大きく成長してくれることを祈念しています。

これから経済学部を目指す高校生にメッセージをお願いします!

グローバルの荒波の中で、日本丸は沈没しつつある。経済を通し、その歴史や何故こうなって来たのか、社会構造を学ぶことが出きるのが経済学部である。その学びの中から、自分自身の進み方 生き方に大きな刺激が与えられることと思う。  いつもグローバルを意識し、通用するものを身につけていってもらいたい。経済学部は関西学院の中核であり、教授陣も充実している。私自身も今日あるのは、関学経済学部で多くのことを学んだお陰だと感謝している。意欲ある皆さんが入学され、人生を支える関学の伝統精神を身につけて育っていく中で、君達自身も大学もより大きく翼を広げて羽ばたくことが出来ていくと信じる。

Knock and it shall be opened unto you
ご活躍を心から祈念しています。