「障害」という表現について

[ 編集者:手話言語研究センター      2020年10月30日 更新 ]

「障害」という表現について 

 「障害」の表記には様々なものがあります。これは「障害」という言葉に用いられている漢字には 否定的なニュアンスが含まれていること、また単に文字だけに限らずこの用語が決して肯定的な評価とは結びついておらず、同情、憐憫、恩恵の対象であったり、優越感や差別意識と密接に関連したりしてきたことに起因しています。法律などに使われているのでそのままの漢字を使用している場合もありますし、否定的な漢字を使わないようにと「障がい」、あるいは「しょうがい」としているケースも見られます。カタカナで「ショウガイ」と使う場合は何か外来語、科学用語のような印象を受ける人もいるかもしれません。最近では、兵庫県宝塚市が「障碍」表記を採用したことで話題になりました。「碍」とは戦前まで使用されていた漢字で、戦後、当用漢字に採用されなくなったために使用されなくなりましたが、「害」に比べると否定的なニュアンスが弱いことが宝塚市採用の理由になっています。このように様々な表記がある中で、本学では、統一した見解が出るまでは「障がい」表記にしていますが、学部などによっては独自の考え方に従って別の表記方法を採用している場合があります(例、人間福祉学部は「障害」表記を採用)。手話言語研究センターでは、「障害」と呼ばれる現象の本質、すなわち「~ができない」ということは医学的な理由によってもたらされたのではなく、むしろ社会的な障壁に起因しているという「障害の社会モデル」を採用しております。この場合の「障害」とは、つまり社会的障壁を意味し、「障害者」と呼ばれている人たちの日常生活、社会生活を困難にしている、文字通りの「障害」になっているものです。それをひらがな表記にしたり、その害悪性のニュアンスを弱めるような漢字を採用したりするのではなく、ストレートにその害悪性とそれを解消、改善する必要性を訴える必要があると、私たちは考えています。イギリス障害学とその影響を受けた日本の障害学などでは「無力化された人びと」という意味合いで "disabled people" 、すなわち、「障害者」が用いられており、本センターが採用する漢字表記もそれに準じたものです。手話言語を取り巻く環境は以前よりは望ましい方向に進んでいるもののまだ課題も多く、決して完全に障壁がなくなったという状態に至っていません。その意味での「障害」の解消もまた、本センターの重要なミッションの1つであり、それは同時に関西学院大学の社会的役割であると確信する次第です。

手話言語研究センター長 松岡 克尚